先ほどNHKのクローズアップ現代が水俣病を取り上げ、石牟礼道子へのインタビューを放映した。
番組は、国が水俣病に対する最終救済策としてしている「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」に基づく患者認定の最終申請期限が7月末日に迫っているにもかかわらず、多くの水俣病の診断を受けた患者が、申請した結果、救済対象として非該当であるという通知を受けている現状を告げている。
なぜ、このような現状となっているのか。それは、認定対象者となるには、地域の限定と、年齢の限定があるからであり、前者については、不知火海沿岸部の特定沿岸部という線引きがあり、後者については、昭和44年以前に生誕した者という線引きがあるからである。
水俣病発生から既に半世紀以上の時を経て、なおこの状況なのである。
石牟礼道子へのインタビューは、これらの状況を受けて行われており、インタビューの放映時間は15分程度。
彼女は現在85歳で、パーキンソン病を患っているそうで振戦麻痺の症状が見られ、映像的にはかなり痛々しいが、その言葉は思いのほかしっかりとしていた。
インタビューの中で、彼女は既に亡くなった患者らの言葉を次のように紹介していた(正確な言葉ではないが)。
「東京へ行っても日本という国はなかった、どこに行っても日本という国はなかった」
「道子さん、私はもう許す。国も許す。チッソも許す。許さないと苦しくてかなわん。ばってん、私はまだ生きていたい。」
彼女は、これらの水俣病患者により、われわれは許されて生きている。しかし、国やチッソは、その患者らの生活をズタズタに引き裂いておきながら、そのことを理解しようとしていないと、淡々と語っていた。
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