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東西南北舎

東西南北舎は東西南北人の活動に伴い生成したテクスト群の集積地である。「東西南北人」は福岡の儒者亀井南溟が秘蔵した細川林谷篆刻の銅印。南溟の死後、息子の亀井昭陽から、原古処、原釆蘋、土屋蕭海、長三洲へと伝わり、三洲の長男、長壽吉の手を経て現在は福岡県朝倉市の秋月郷土館に伝承されたもの。私の東西南北人は勝手な僭称であるが、願わくば、東西南北に憚ることのない庵舎とならんことを祈念してその名を流用させて頂いた。

   

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完本 情況への発言 吉本隆明著(洋泉社 2011年11月2日)

 吉本隆明氏が亡くなって10日過ぎた。

 あれは亡くなる2~3週間くらい前だったか、久しぶりに神保町で本を漁っているときに、本書をみかけ、1800円で入手した。
 すぐに読む気はなかったのだが、なんとなく気になって読み始めたところで、その訃報を友人からのメールで目にした。
 吉本というと「共同幻想論」や「言語にとって美とはなにか」或いは「心的現象論序説」ということになるのだろうが、私が学生の頃は「マス・イメージ論」や「「反核」異論」の頃で、わが母校では、栗本慎一郎との対談「相対幻論」なんかがマスト・アイテムだった。まさにニューアカブーム全盛の頃である。

 吉本25時というイベントの客席にいたことがある。1987年9月12日14時から9月13日14時まで、東京・品川のウォーター・フロントにある寺田倉庫T33号館4Fで、吉本隆明・三上治・中上健次の三氏主催で「いま、吉本隆明25時―24時間講演と討論」と題するイベントが行われた。
 講演者は、3人の主催者以外に、前登志夫、宇野邦一、加藤尚武、島田雅彦、呉智英、都はるみ等々。会場には荒木経惟や山田詠美、糸井重里等の顔も見えた。吉本の姿を見たのは、あれが最初で最後である。

 本書は「試行」で35年間(1962~1997年)に渡って書き継がれた、吉本隆明の悪戦の記録である。
 この35年間で、吉本の論敵は様々に移り変わっていくが、多くの場合、吉本は彼らを「スターリニスト」と呼び習わしてきた。
 吉本のいうスターリニストとは何か?これを示すのはなかなかに困難なのだが、吉本が彼らを根底から批判し尽くそうとしてもち出してきたのが「アジア的ということ」であり、この「情況への発言」の中で、1980年から1983年にかけて途中「「反核」問題をめぐって」をはさみ、「アジア的ということ」のサブタイトルを付されて7回にわたって連載されている文章が、この分厚い論争の書の白眉といえる部分である。
 最初にこれを読んだ当時の私には吉本が「アジア的ということ」を通して何が言いたいのかが今ひとつよくわからなかった。今も十全に理解できている訳ではないが、渡辺京二の仕事等を通して、あの頃よりは腑に落ちる部分がないではない。
 だが、この「アジア的ということ」への拘泥によって、吉本は、自らの思想の展開にとって恐るべき断崖とその深淵を見はるかすことになってしまったのではないだろうか。今の私には、その問題を十分に論じる能力はないが、この「アジア的ということ」への吉本の構造的な拘泥は、吉本思想のつまずきの石となってしまったのではないかという気がしてならない。私がそのように思うのは、渡辺京二という、同じようにアジア的なるものに拘泥しつつも、吉本とは全く異なった方法でアジア的なるものの輪郭を、鮮やかに描き出した一個の思想家を知っているからである。

 今はともかく、この「情況への発言」から、吉本のいう「アジア的ということ」について、幾つかメモしておく。
 吉本のいう「アジア的ということ」はマルクスが東インド会社のインド支配の過程から見出したものであり、吉本はこの分析から「思わず嘆声を挙げるほど驚かされる点」を二つ指摘している。

++ひとつはアジア的な制度と心性からは奇異に感ぜられるが(そして奇異に感ぜられることが重要であるが)、ヒンドスタン-アジアをはじめに、経済的にそしてだんだんと政治的に従属させていったのは原則的には、国家の政治的権力とは区別されるべき民間の社会的勢力であったということである。(299頁)

++もうひとつはインドのアジア的な、社会的政治的な制度の特質を鋭く抽出し、英国の支配によってもたらされた決定的な近代の悲惨とそして近代化の不可避性とを摘出したことであった。(300頁)

 吉本は、ここから取り出された問題の再演をロシア革命に見て取る。

++わたしたちはロシア政治革命におけるレーニンらの理念のうちに、あたうかぎり理想的な形で展開された「近代化」(近代の止揚)を視たかにおもえた。けれどレーニンらは、ある意味ではインドにおける英国とおなじ問題に直面し、おなじことをやったと言うこともできる。ただこのばあいあきらかに問題は二重であった。ミール共同体の強固な構造に象徴されるロシア社会のアジア的な構成は絶滅し止揚されるべき遺構としてあらわれるとともに、レーニンらの中央集権的な専制(いわゆるプロレタリア独裁)にたいして、そのままの形でこそ最も大きな観念的な基礎を与えるものであった。(中略)レーニンらの意図した抑圧された労働者勢力による「近代化」(近代の止揚)は一面では近代以前の永続するアジア的な専制の遺構への退化であり、他の一面では西欧資本主義的な高度な技術と生産手段の計画的な投入によるミール共同体的な農耕村落の徹底的な破壊を意味したのである。(303頁)

 さらに吉本は、このレーニンらによって遂行されたロシア革命において、マルクスのいう「プロレタリアートの独裁」という概念が、レーニンによって倫理的に矮小化され、アジア的な専制国家の統制概念に置き換えられてしまっていることを弾劾して次のように記している。

++このレーニンの貧弱な歪曲されたファッショ的な国家画像にこそマルクスが<アジア的>に受容されたときのひとつの典型が、ロシア的な典型が象徴されている。ここでは、ほんらい武装力と国家警察による大衆の監視機構と、全大衆のリコール制によって常に解任されうる国家機関と、けっして非国家機関の大衆の賃金を上廻る(ママ)ことのない賃金しか手にしない国家機関員とを支柱とする、いわば人間の<自由>と<解放>とが先取りされたコミューン型国家、死滅にむかって開かれた国家の画像は窒息させられてしまっている。レーニンやトロツキーはロシア・マルクス主義者のうちとび抜けて闊達な、とび抜けて解放された思想の持主だったが、それでも不可避的に<アジア的>な停滞のなかに、マルクスの理念を封冊(ママ)し終息させている。(320頁)

 そして、吉本によって、このようなロシア・マルクス主義の言説に支配され、あるいはその片棒を担ぐ論者は須く「スターリニスト」との烙印が押されていくことになる。
 だが、吉本の「アジア的ということ」はここに立ち止まるのではなく、そこから、世界思想として問題となる「アジア的」なことの考察に向かう。その際、吉本はそこには3つの問題があることを指摘している。

 ① 共同体の問題としての<アジア的ということ>
 ② <アジア的>生産様式
 ③ <アジア的>専制としての政治形態あるいは権力形態

 これらの問題を解くためには、その後の吉本の著作全てを再点検する必要があるが、それは今後の課題ということにさせて頂きたい。
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