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東西南北舎

東西南北舎は東西南北人の活動に伴い生成したテクスト群の集積地である。「東西南北人」は福岡の儒者亀井南溟が秘蔵した細川林谷篆刻の銅印。南溟の死後、息子の亀井昭陽から、原古処、原釆蘋、土屋蕭海、長三洲へと伝わり、三洲の長男、長壽吉の手を経て現在は福岡県朝倉市の秋月郷土館に伝承されたもの。私の東西南北人は勝手な僭称であるが、願わくば、東西南北に憚ることのない庵舎とならんことを祈念してその名を流用させて頂いた。

   

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未踏の野を過ぎて 渡辺京二著(弦書房 2011年11月8日)

 渡辺京二の近年の世相論を集めた評論集である。
 タイトルとなっている「未踏の野を過ぎて」は2001年に熊本日々新聞に連載されたもの。
 巻等に「無常こそわが友」という短いエッセイが掲げられている。東日本大震災に対するメディアの大騒ぎをを揶揄する文章となっている。
 此度の震災が未曾有の大災害だというが、東北の津波被害は明治時代にもあったし、関東大震災では帝都が灰燼に帰している。大東亜戦争では、100万人以上の日本人が死んでいるし、おまけに広島、長崎には原爆まで落されている。それでも、誰も日本はもうダメだなどとは言わなかったのではないか、と。メディアはパニックを起こしており、それは災害に見舞われていない人のパニックだと指摘している。
 だが、この国の人々は、人の生の実相が常にそのような無常と隣り合わせにあることを何時忘れてしまったのか、と。

++われわれは戦争と革命の二十世紀を通じて、何度人工の大津波を経験してきたことか。アウシュヴィッツ然り、ヒロシマ・ナガサキ然り、収容所列島然り、ポルポトの文化革命然り。私は戦火と迫害に追われて、わずかにコップとスプーンを懐に流浪するのが、自分の運命であるのを忘れたことはない。実際には安穏な暮らしを続けながら、夢の底でもそれを忘れたことはない。日本人、いや人類の生きかた在りかたを変えねばならぬのは、昨日今日始まった話ではないのだ。原発が人間によって制御不可能な技術であることも、経済成長と過剰消費にどっぷり浸った生活が永続きしないのも、四〇年五〇年前からわかっていた話だ。(11~12頁)

 その通りだと思うが、この爺様の言葉として読むとやはり重みが違う。どこの編集者でも構わないから、この人と吉本隆明とが二人とも矍鑠としているうちに、対談させてみてはくれないだろうか。
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山県有朋と明治国家 井上寿一著(日本放送出版協会 2010年12月21日)

 奇兵隊の暴れん坊、山県狂介が、いかに明治国家の形成に寄与し、その中枢に居続け、以後の国家経営において重要な役割を果たし続けてきたのかを再評価すべきである、という主張の書である。
 山県が明治政府で成した最初の大仕事は明治6年の徴兵制の確立であり、それ故に悪名が高いのだが、これは大村益次郎が生き延びていれば、大村の功績となった事象であろう。
 そして明治6年の政変以後の士族の叛乱期を生き延びる中で、旧帝国陸軍の制度整備に務めそれを掌握すると、明治16年には内務卿に就任する。内務卿時代は帝都の都市計画や地方自治制度の確立(所謂「富国強兵」の富国)に務めるとともに、2度の欧米外遊に出かけている。
 この間、木戸が逝き、西郷、大久保の両巨頭が共に倒れる中、山県は伊藤との確執を繰り広げるなかで明治政府の枢要を担う存在になっていく。
 本書が強調しているのは、山県の情勢判断の的確さであり、その外交戦略の堅実さである。日清日露の両戦役を通じて、山県の名が喧伝されることは稀だが、明治国家の外交戦略はほとんど山県の戦略を具現化していったものということができると本書は主張している。
 山県の外交戦略とは、対列国協調外交の重視であり、特に対米協調を重視している。山県には、当時の日本がいかに危ういパワーバランスの上に立脚しているのかがよく見えていたのであり、山県の政略は常にその危機意識によって発動されていたのだと。

 驚くべきは山県の没年であるが、山県は1922年(大正11年)まで生存し、死の直前まで政治の実権を手放していない。大正期において山県の相棒的存在となるのが原敬だが、山県はその原よりも長生きしている。その治世(とういうのは語弊かもしれないが)は優に半世紀を超えているのである。

 本書は、山県の評価をめぐる松本清張と林房雄の論争から説き起こされているが、そこには山県を象徴とする日本近代史像の分裂が現れているのであり、山県の在りようを再評価することで、その分裂を解くことができるとしている。

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星海大戦 元長柾木著(講談社 2011年4月15日)

 人類の生活圏が太陽系全域を蔽う100天文単位(AU)の宙域に拡がったおよそ300年後の世界。
 そこに萌え要素のみで構成されたエイリアン《敵(ファイアント)》が現れ、地球人は地球を含む内惑星域から追い払われ、小惑星帯から木星圏の住人によるユニオンと土星圏以遠の住人によって構成されるクラスタの二つの政体に分裂し、相争っている。
 本作はそんな世界を舞台とした、本格スペースオペラである。いうなれば、本作は「銀河英雄伝説」の縮小再生産といった構えで、宇宙空間での艦隊戦なんぞという絵空事を何とかリアリティをもって描き出そうという無謀な試みなのだが、その挑戦には拍手を贈りたい。
 既に第二巻も発売されているようで、一応続きも読んでみようと思っている。

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シンセミア 阿部和重著(朝日新聞社2003年10月17日)

 本作、伊藤整文学賞を受賞したとのことであるが、確かに、我執の妄者共が、これでもかという位に下劣な行為を繰り広げ、活躍する様を延々と描き続けたところは、晩年の伊藤整の「氾濫」等の諸作を思わせるところがなきにしもあらずで、小説としてはそれなりに面白く、強引に読ませる力量は並大抵のものではないのだが、結果として、そこに描き出されたものが何だったのかといわれると心もとない印象しか浮かばない。
 舞台は、著者の出身地である実在の山県県東根市神町で、かつて米軍が駐留しパンパンの町と呼ばれたことがあるくらい風紀が紊乱したこともあり、現在も自衛隊の駐屯地がある、田舎町としては特異なバックグラウンドを持った小さな街である。
 そこに、エロとグロが大好きで、さくらんぼや桃の名産地としてののどかな町の在りように我慢がならず、覗き趣味の変態サークルを構成する小悪党の青年たち、そして、その青年の一人の父親であり、町の実力者である産業廃棄物の処分場建設を推進する悪徳市議会議員とその家族、長年その懐刀として、悪事に手を染めてきた町の顔役であるパン屋の主人とその家族、パン屋の主人の元愛人で地元のスナックや博打場を運営する女ヤクザとその家族、これら三家族と、スナックの従業員に入れあげ借金苦にあえぐ巡査部長や幼女愛玩趣味を有する新米巡査等を構成員とする神町交番の面々が配されている。
 その、本来はのどかであるはずの田舎町に、立て続けに謎の怪死事件や行方不明事件が起こり、台風が襲来し、洪水に見舞われ、不発弾が爆発し、UFOが出現する。
 本作は、いわば群像劇であり、神町という閉域を舞台とした、一種の幻想的な叙事詩となるべき構成となっているのだが、登場人物たちの造型は、ある種その構成を裏切って喜劇的なのである。結果として、何かチグハグな読後感の残る中途半端な作品となっている。

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『坂の上の雲』の幻影―“天才”秋山は存在しなかった 木村勲著(論創社 2011年7月)

 著者は、元朝日新聞の記者で現在は神戸松蔭女子学院大学文学部の教授。専門は日本近代思想史とメディア論とのこと。著者は2006年にも「日本海海戦とメディア-秋山真之神話批判」(講談社選書メチエ)という著書(残念ながら私は未読)を上梓しており、本書はその再説というべきもの。
 本書の主張は、要するに、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が造形した秋山真之の知謀なるものは、海戦後に、当時の海軍上層部がデッチ上げた虚像であることを示したもので、その論拠となっているのが、司馬が同書執筆当時参照することができなかった1981年発見の資料「極秘・明治三十七八年海戦史」(海軍軍令部編纂)である。
 本書の主張を結論からいうと、要するに日本海海戦の勝利は、非常に危うい橋を渡ったものであり、その作戦は秋山真之が考案したものでもない。当時の司令部は明らかに混乱しており、その混乱を隠蔽するために出来上がったのが東郷神話であり、秋山神話である、というものである。
 論点は幾つかあるが、まずは日露戦争緒戦における旅順艦隊との海戦における所謂丁字戦法の失敗がある。この際の作戦指導(戦策)は秋山によるものだが、これが失敗に終わったことで東郷は丁字戦法に見切りをつける。このとき、東郷はスッパリ秋山を更迭すべきだったが、それができないのが東郷の優柔不断なところであり、秋山を変える代わりに参謀長を嶋村速雄から加藤友三郎に変更する。
 以後の司令部の基本作戦を象徴するのが「同行戦、中央幹線上に占位せよ」という方針である。どういうことか。所謂丁字戦法とは単縦陣で直進する敵艦隊列の前面をこちらも単縦陣で横切り、先頭艦(旗艦)に艦隊全艦の片弦放火を集中し、これを撃滅するという戦法であるが、うまくいけば良いが、これを躱され逃げられてしまうと、以後の砲戦継続が著しく困難になってしまう。実際、黄海海戦で連合艦隊はこの戦法をとるが、旅順艦隊に見事に躱されてしまい、これを取り逃がす不始末となる。
 これに懲りた東郷以下の司令部は、次は同行戦で、という考えに遷移する。それが「同行戦、中央幹線上に占位せよ」という方針となる。実際、バルチック艦隊との海戦では、執拗に同行戦を戦い結果オーライの大勝利となった訳だが、そこで邪魔になったのが、あくまでも丁字戦法に固執する秋山である。秋山はその後、初動での水雷奇襲案にいたる幾つかの作戦案(戦策)を提示するが、それらは尽く採用されずに日本海海戦を迎える。事実上秋山は干されていたのである。そしてそれこそがあの大勝利を呼び込むことになった原因の一つであり、司馬が「坂の上の雲」で描いた状況は全くのフィクションであり、事実は寧ろ逆だったというのが本書の主張の一つである。
 「極秘・明治三十七八年海戦史」には、この作戦採用にかかる秋山とそれを押さえつけようとする司令部の攻防が明瞭に記録されているようである。
 また、本書によると、当時の連合艦隊司令部の混乱はこれだけではない(詳細を知りたい方は本書を一読されたい)。
 本書に書かれていることが事実だとすると、よくもあのような勝利を収めることができたものだと、逆の意味で感心するが、本書の著者は、先のTV化により、このような嘘で固められた秋山神話や東郷神話が史実と認識されていく様を危惧して本書をものしたようである。
 あのNHKの番組に感動されている方がいるのであれば、本書はそのような方に是非一読して頂きたい書である。

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