渡辺京二の近年の世相論を集めた評論集である。
タイトルとなっている「未踏の野を過ぎて」は2001年に熊本日々新聞に連載されたもの。
巻等に「無常こそわが友」という短いエッセイが掲げられている。東日本大震災に対するメディアの大騒ぎをを揶揄する文章となっている。
此度の震災が未曾有の大災害だというが、東北の津波被害は明治時代にもあったし、関東大震災では帝都が灰燼に帰している。大東亜戦争では、100万人以上の日本人が死んでいるし、おまけに広島、長崎には原爆まで落されている。それでも、誰も日本はもうダメだなどとは言わなかったのではないか、と。メディアはパニックを起こしており、それは災害に見舞われていない人のパニックだと指摘している。
だが、この国の人々は、人の生の実相が常にそのような無常と隣り合わせにあることを何時忘れてしまったのか、と。
++われわれは戦争と革命の二十世紀を通じて、何度人工の大津波を経験してきたことか。アウシュヴィッツ然り、ヒロシマ・ナガサキ然り、収容所列島然り、ポルポトの文化革命然り。私は戦火と迫害に追われて、わずかにコップとスプーンを懐に流浪するのが、自分の運命であるのを忘れたことはない。実際には安穏な暮らしを続けながら、夢の底でもそれを忘れたことはない。日本人、いや人類の生きかた在りかたを変えねばならぬのは、昨日今日始まった話ではないのだ。原発が人間によって制御不可能な技術であることも、経済成長と過剰消費にどっぷり浸った生活が永続きしないのも、四〇年五〇年前からわかっていた話だ。(11~12頁)
その通りだと思うが、この爺様の言葉として読むとやはり重みが違う。どこの編集者でも構わないから、この人と吉本隆明とが二人とも矍鑠としているうちに、対談させてみてはくれないだろうか。
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