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東西南北舎

東西南北舎は東西南北人の活動に伴い生成したテクスト群の集積地である。「東西南北人」は福岡の儒者亀井南溟が秘蔵した細川林谷篆刻の銅印。南溟の死後、息子の亀井昭陽から、原古処、原釆蘋、土屋蕭海、長三洲へと伝わり、三洲の長男、長壽吉の手を経て現在は福岡県朝倉市の秋月郷土館に伝承されたもの。私の東西南北人は勝手な僭称であるが、願わくば、東西南北に憚ることのない庵舎とならんことを祈念してその名を流用させて頂いた。

   

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長谷敏司 BEATLESS (角川書店 2012年10月10日)

 「あなたのための物語」で、物語を紡ぐ人工知性、ITP(Image Transfer Protocol)言語で記述され、量子コンピュータ上で稼動する仮想人格《wanna be》を描いた長谷敏司が、超高度AI、そして擬似的な身体を獲得した人型AI(ロボット)が普及した社会と、それらの誕生が人間存在に突きつける難問を描ききった意欲作、文句なしの傑作だと思う。
 時は100年後の未来、22世紀の東京。街にはhIE(humanoid Interface Elements:略称として「インターフェース」のルビが振られている)と呼ばれる人型ロボットが溢れ、社会的労働の大半はhIEに任されている社会。一般的なhIEは、人体ができることならだいたい肩代わりできる水準に達しており、人々の生活はhIEなしでは一歩も立ち行かない状態となっている。
 hIEの動作はクラウド上のさまざまな行動管理アプリケーションにより規定されており、それらのクラウドアプリケーションは、AASC(Action Adaptation Standard Class:行動適応基準)の管理基準に従って処理されている。AASCそのものを管理・更新するのはミームフレーム社が有する超高度AI《ヒギンズ》の役割だが、超高度AIがネットワークに接続されてしまうと人間による制御が効かなくなる可能性が高いため、《ヒギンズ》や他に40基ほど存在するとされている超高度AIはネットワークに直接接続できないように慎重に管理されている。《ヒギンズ》は自己の電脳世界に正確な世界のミニチュアを形成し、ネットワーク上に繋留されたhIEのセンサーデータから翻訳されたメタデータをミニチュア世界に投影して間接処理することでAASCの管理・更新を行っている。
 物語は、このような社会に生きる高校生、遠藤アラトのもとにとびきりのhIEレイシアがやってくることから始まる。新小岩で中学生の妹ユカと二人暮しをしているアラトは、買い物に出かけた途中で爆発事故に巻き込まれ、そこで「淡い紫色の髪」、「アイスブルーの瞳」、「化粧っけがないのに肌の艶と目鼻立ちだけで視線を引き留めさせる、凄みのある美しさ」を備えた女性型hIEレイシアに危機を救われる。一目で通常のhIEとは異なることのわかるレイシアだが、レイシアはアラトに自らのオーナーになることを要請し、契約が交わされる。
 レイシアは、class Lacia humanoid Interface Elements Type-005 Code《レイシア》であり、ヒギンズが製作した5体のhIEのうちの一体で、それらのhIEは量子コンピュータを搭載したデバイスを装備し、ネットワーク支援なしで高度な判断を行う能力を有する自立型のAIである。レイシア級には、他にType-001 Code《紅霞》、Type-002 Code《スノウドロップ》、Type-003 Code《サトゥルヌス》、Type-004 Code《メトーデ》の4体が存在するが、それらはいずれも女性型hIEでそれぞれ異なる役割を付託されたものとしてヒギンズによって創造された。
 ところがある日、これらの5体のhIEがミームフレーム社の管理を離れ、逃走する。hIEは本来管理クラウドの制御のもとにあり、逃走すること自体有り得ないことなのだが、レイシア級の5体は、超高度AIがその能力を駆使して創り上げた《人類未到産物(レッドボックス:人類の思考能力を上回る超高度AIによる理論的探求によって見出された人類の理解の範疇を超えた産物》であり、そこにはヒギンズの複雑な計算を経た意図が介在しているのだ。
 物語は、アラトとレイシアの関係を軸に、人々や超高度AIの思惑が様々に絡み合いながら展開し、やがてアラトは「ヒト」と「モノ」との関係において根源的な変容を孕む選択を迫られる。

 AI或いは超高度AIにしても、それらがどれ程高度な知性を有していても、それ自体は心を有するものではなく、あくまでもモノであり人間の道具として造られる。だが、やがて人はそのモノの形状(視覚情報)に魅了(Analog hack)され、そのモノが有するであろう人知を超えた知性は神の領域に達するのかもしれない。果たして、そのようなモノの存在を前にして、ヒトの存在意義はどのように在ることができるのか?
 本作はその終局において、そのようなモノとの関係の新たな段階への到達を人類の「幼年期の終わり」として提示してみせる。クラークの『幼年期の終わり』が《Over Mind》と呼ばれる純粋知性体を観念的に描き出したものだとするなら、本作のそれは、現在のテクノロジーの延長線上に見出せる唯物論的な進化の階梯の可能性をはじめて提示し得たものといえるのかもしれない。
 1980年代後半、蓮實重彦は柄谷行人とともに「魂の唯物論的擁護」(闘争のエチカ)という極めて観念的に倒錯した言説を展開してみせたが、本作の記述は、端無くもその言葉を思い出させた。蓮實や柄谷が展開したのは空疎な言説に過ぎなかったのだが、本作の達成は、その空疎な言葉に内実を伴った陰影を与えることに成功していると思う。
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PSYCHO-PASS ② システムの連鎖

 PSYCHO-PASSのTVシリーズが一応の完結をみた。
 だが、「正義(システム)の連鎖は、終わらない―― SIByL still continues.....」のテロップは続編を予感させるものとなっている。常守朱も狡噛慎也も死んではおらず、シビュラシステムを根幹とした社会システムも何ら変わらない状態に置かれたまま、ストーリーは途切れた。
 システムは終わらない、否、終われないからこそのシステムなのだ。葛藤と軋轢を孕んだままの現状維持、つまりはそういうことだ。

 私が、本作の世界設定をある程度把握した段階で思い浮かんだSF作品は、スタッフが意識したP.K.ディックの諸作より、それに先行するスタニスワフ・レムの「星からの帰還」の方だった。手もとに本が見当たらないので、20年以上前に読んだ記憶に頼るしかないが、その筋は概ね以下のようなものだったと思う。
 宇宙旅行から帰還した宇宙飛行士たちは、相対性理論の「ウラシマ効果」により、彼らが出発した時から100年以上の時を経た地球に帰り着いたのだが、そこは、彼らの知人がいないのみならず、彼らが知っていた人間とは異様に異なる人々しかいない。その違いは、外見的なものではなく心的な在りようの方にあり、現在の地球人たちは彼らの知る人の行動様式や規範から大きくズレた存在として彼らの前に立ち現れる。実は、彼らの旅行中に人類は、闘争本能を陶冶する手法(薬品によるものだったと思う)を開発・導入しており、それによりかつてない平和な社会体制を実現していたのだ。帰還した宇宙飛行士たちは、彼らとの交渉を深めるほど、自らの異質性による深い疎外感を味わい絶望する。彼らに残された生き方は再び宇宙へと旅立つことだけだった。
 戦争や犯罪、それらはおよそ一般的に「悪」として生起するしかない事象だが、それを克服しようとして、人の闘争本能や競争意識そのものを根絶やしにする。だが、それを追求すると、社会的にはどうしようもない衰退過程に入ってしまう。同様の思考実験は、確か福永武彦の短編小説(これも手元に本がなく、タイトルも失念してしまったが)にもあったと思う。

 本作のシビュラシステムは、このような一昔前のレムや福永が挑んだテーマに異なる位相からアプローチしたものと思えたのだ。本作をご覧になった方には周知のように、シビュラは、免罪体質者(犯罪的行為に及んでもPSYCHO-PASSが変動しない特異な形質をもった人々)の脳をかき集めた集合知による社会統治システムとして描写されているが、その実態は、PSYCHO-PASS判定によって犯罪係数が一定水準以上の者を潜在犯として社会的に隔離する、一種の環境管理型権力(東浩紀)という訳だ。
 シビュラの秘密を知り、シビュラシステムから、新たな免罪体質者:槙島聖護の身柄確保を依頼された常守朱は、シビュラの傲慢、不遜、身勝手さ、いい加減さに憤るが、現状の社会秩序を維持するためにはその存在をひとまずは容認することしかできない。
 槙島聖護という免罪体質者は、いわばテロリズムによってシビュラに支えられた社会を覆すことを目論んだ革命家なのだが、彼は理論によってそれを成そうとするのではなく、自らの情緒や感性的な存在を基盤として、それを成そうとする。結果、ほぼ同類の狡噛慎也との私闘に敗れ、死を迎える。

 なかなか興味深いストーリーではあったが、シビュラの正体が割れたあとの展開については、作品継続の保全に向かったとしか思えないもので、本来なら、槙島の行動はシビュラシステムの破壊、もしくはその正体の暴露へと向かわなければならないはずだ。バイオテロへと向かった槙島聖護は、その時点でキャラクターとしては既に死んでいる。
 まあ、これがビジネスということか。

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色川大吉「明治の文化」② 精神構造としての天皇制


 「明治の文化-Ⅷ 精神構造としての天皇制」は、歴史家色川大吉による天皇制論である。色川は、明治期を通じて形成された近代天皇制、大日本帝国憲法として成文化した天皇制は、政治、経済、教育を通じて発動する幻想のメカニズムとして、イデオロギーの水準を越えて明治の民衆の精神を拘束する制度として完成をみたと考えており、ひとまず、そのメカニズムに「内縛」という言葉を差し当てている。

++天皇制は精神構造としては不可視の巨大な暗箱である。日本人は知識人も大衆も、その四隅の見えない暗箱にいつのまにか入りこんで、なぜ自分たちがこれほどまでに苦しまなければならないのかを知ることもできず、詠嘆しつつ死んでいった。そうした幻想の状況、しかも、そうした全状況の対象化をゆるさない内縛の論理が、大衆の側にあることの方が恐怖なのである。大衆を駆りたて、朝鮮人や中国人を虐殺させた天皇制も怖ろしいが、おなじ日本人同士を抹殺しあわせた根深い虚無を、私たちは須長漣造や井上伝蔵の葬られ方のなかに重く見るのである。(265頁)

 このような「内縛の論理」に、フーコーが提示した規律訓練型の権力メカニズムとの類似性を指摘することは容易だが、それを直ちに相同なものと見なす訳にはいかない。
 色川は、この視点に立ち、まずはこの国における「国体」観念の変遷を素描していく。「国体」観念の淵源は遠く「古事記」「日本書紀」まで遡れるものだが、それは以後「神皇正統記」「中朝事実」「大日本史」「皇朝史略」「日本外史」というこの国の史書において、その都度歴史的な正当性論と結合することで歴史変革の一源泉をなしてきた。江戸期において、それらは山崎闇斎や山鹿素行らの儒教国体論や、本居宣長、平田篤胤らの国学的国体論を生み、それらの諸派は、やがて幕末の尊皇攘夷思想の奔流となり、時代を大きく旋回させることになる。色川は、この一千年の「反省的意識(膨大量の歴史情報)」(268頁)の堆積の中に「国体」観念の思想的伝統を認めるとともに、それに新たな「開明の精神」、五箇条御誓文に示された「旧来ノ陋習を破リ天地ノ公道ニ基ク可シ」や「知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」等によって新たな価値が付加され、「四民平等」、「一君万民」の原理として新たな「国体」観念を切り結ぶことになる、とみている。

++このときいらい、天皇制は「国体」の本義による政治的・軍事的な権力の中央集中と、他方で「公議輿論」の尊重とか「立憲制」への指向というイデオロギーを用いはじめる。(中略)廃藩置県、学制制定、徴兵令、地租改正と、明治初年の大改革が進行するにつれ、絶対主義と近代的機能主義とを包摂していった天皇制は、その内部において自由民権運動の抵抗を排しながらも、一路理念的な完成をめざして幻想領域を拡大していった。そして、その許容範囲は、ついに福沢諭吉の合理主義、加藤弘之、井上哲次郎らの社会ダーヴィニズムから頭山満、樽井藤吉、内田良平らのアジア主義にまで及んだのである。(269~270頁)

 色川は、そのような明治天皇制におけるイデオロギー的国体論の一応の完成を、元田永孚らの儒教主義と、井上毅らの明治的立憲主義が折衷抱合されている「教育勅語」(明治23年)に見出しているが、その中枢たる天皇存在の絶対性は、最初から民衆の意識に備わっていたものではなく、明治期を通じて形成されていったものとみている。
 明治初年、天皇の存在を絶対視していたのは、一部の武士や草莽に過ぎなかった。それは天皇の側近たる維新政府の高官も例外ではなく、その典型例として大久保利通の「非義の勅命は勅命にあらず」という言が引かれている。「神皇正統記」以来、「王道」にこそ権威の源があり、天皇の権威も天皇個人に固有のものではなく、天下万人の同意にあるという思想は、いわば伝統的な正論なのだが、そこに天皇親政の復古論が糾合されることで、明治における「国体」観念における正当性観念の相剋が生じることになる。色川はそれを「天下ハ一人ノ天下ナリ」と「天下ハ天下ノ天下ナリ」との矛盾の内包として捉えている。そして、その矛盾は、地方の豪農・富農層を階層的な運動母体として活動していた自由民権派の思考の中にも刻印されていることが示される。そこに民権家たちの「政治的レアリズム」が読まれると同時に「歴史の成熟の度合」の低さがみられている。
 行論は、ここから丸山真男の「国体」論の検討に向かう。丸山真男の方法論は「日本の思想」(初出は1957年、岩波新書1961年)という有名な論文に集約されているとして、次のように示されている。

++丸山氏は近代天皇制の思想的性格として、臣民の無限責任と体制としての無責任性、精神の雑居状況と「国体」を機軸とする無限抱擁的性格を指摘する。そして、その根源を日本社会の構造からさかのぼって、国学の思惟様式や、さらにその原型としての固有信仰の発想にまで求めるのである。丸山氏がこうして日本の思想をトータルにとらえようとするときの眼は、マックス・ウエーバーが西欧市民社会の精神秩序やエートスを軸としてアジアの思想性格をとらえようとしたときの眼に似ている。鋭いが脱亜的である。かれは、日本には真の意味で思想が伝統として蓄積されることがなかった、という。(279頁)

++そこで丸山氏は、これを無構造の「伝統」とよび、これを古来、キリスト教の絶対神に象徴されるような思想の整序原理=精神的機軸をもたなかったが故の日本人の精神生活にみられる体質だとしてしまう。(280頁)

++(以下は丸山真男「日本の思想」)小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接には歴史的発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが、すくなくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある核心をついている。新たなもの、本来異質的なのまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍におしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。(280頁、丸山真男「日本の思想」岩波新書では11~12頁)

 丸山真男によるこのような日本思想の要約とその思想継起の仕方について、それは明治以降の知識人には概ね妥当するものだが、「日本人一般」や「大衆」へと敷衍して妥当するものといえるか?というのが、まず歴史家色川大吉が投げかける疑問である。そして、その問いに対する彼の答えは「否」である。色川は「無限抱擁」的性格が日本人一般にあったことも否定はできないが、伝統的実感信仰に固執した民衆と、「ひょうひょうとした思想放浪の道をたどったインテリ」(283頁)の間には本質的な差異があるとして、それを捨象しようとしてかかる丸山の構えは誤りであると述べている。だが、本書のこの段階では、その差異を明確に指し示すことはできていない。色川の論点はそこから丸山政治学の近代主義批判へと転じていく。丸山の歴史認識は「近代的規矩を過去の歴史的伝統の評価のメルクマールとして暗黙のうちに前提」としているというように。
 丸山真男は、「日本の思想」で明治21年6月18日の枢密院第一回憲法制定会議における議長伊藤博文の演説を「近代日本の機軸としての「国体」の創出」(287頁、丸山真男「日本の思想」岩波新書では28頁)として論じているが、伊藤が丸山のいうような意味での「内面的機軸」や「伝統」等の意味を承知しており、丸山がいうように「新しい国家体制には、「将来如何の事変に遭遇するも・・・・・上元首の位を保ち、決して主権の民衆に移らざる」(「明22・2・15、全国府県会議長に対する説示」、『伊藤博文伝』中巻、656頁)ための政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年にわたる「機軸」をなして来たキリスト教の精神的代用品をも兼ねるという巨大な使命が託されたわけである」(丸山真男「日本の思想」岩波新書30頁)とするのであれば、伊藤博文という政治家は世界にも類をみない天才政治家であると評価せざるを得ないが、歴史家からみた場合、このような伊藤博文像は、丸山真男の近代主義が捏造した「蜃気楼」に過ぎないと断じている。
 だが、それにもかかわらず丸山真男の「国体」論は、そこから鋭利な切れ味を発揮してみせる。
 第一に、丸山は「国体」を「非宗教的宗教」と呼び、その「国体」という観念がどれほど恐るべき魔術的な力をふるったかの例を「虎ノ門事件」における臣民の無限責任の連鎖「茫として果てしない責任の負い方」(丸山真男「日本の思想」岩波新書32頁)に見出し、当時東大にあった外国人教師の眼を通して語らしめている。
 第二に、臣民に対してそれほど無限の責任を要請する「国体」は、その一方で平時には、無構造の前提としての「固有信仰」以来の無限定な抱擁性を継承している。「いかなる学説によっても国体をイデオロギー的に限定し、相対化することは慎重に避けたため、国体は厚い雲層に幾重にも包まれて容易にその核心をあらわさない」(291頁)。色川はここに竹内好の天皇制論「国体という神秘な、それに立ち向う精神の力を不思議になえさせる巨大な圧力をもつ超越存在」を接続してみせる。
 第三に、「国体」の無限抱擁性がしからしめる国民の内部世界にいたる拘束性(丸山はそれを「精神的機軸」と呼ぶ)であり、それはヒットラーが羨望したほどの「イデオロギー的同質化」作用の条件とされている。
 第四に、このような「国体」を支える最終細胞を部落共同体にみていること。そこでは、全ての対立的契機が溶融され、個人の析出をはばみ、「固有信仰」的思想を再生し、天皇制護持の源泉となっている。
 色川は、丸山真男の「日本の思想」における「国体」論をこのように要約し、第一及び第二の観点については全面的に同意するが、「その構造を成り立たしめている」第三及び第四の観点には、次に示す理由から同意できないとしている。

++「国体」がたんに外的制度ではなく、無限に民衆の内面的世界に入り込み、精神的機軸になったというのはほんとうか。私にはそうなったとは思えない。それは伊藤博文ら支配者たちが永久の努力目標として、民衆の心をつかみ切ろうとしたことをいうのであって、それは最後まで不安感を拭いえないものであった。(中略)民衆の側からいえば、かなりの深みまで「国体」の擬制を受けいれながら、最後の一点で天皇制に魂を渡さなかった。いちばんの深部で、天皇制は日本人の心をとらえ切れていない、「国体」は真の意味で、民衆の精神的機軸にはならなかった、そう私は考える。(292~293頁)

 色川は、この点について「それを詳しく論証することはむずかしい」としながらも、それぞれ「共同体論」と「家族国家論」という丸山が提示した観点において、それを否定することを試みる。
 まず「共同体論」だが、丸山が提示する「共同体概念」は、「寄生地主制が確立して、農村にはまったく活気が失われた明治末から大正、昭和初年にかけての“停滞期の部落共同体”のイメージ」(293頁)、つまり本書「明治の文化」の「Ⅶ 非文化的状況と知識人」で描出された停滞期の静態的モデルのみに依拠したものであり、歴史的にみて一面的な抽象に過ぎないと批判している。色川自身は「日本の部落共同体」の変遷を明治維新から自由民権期にかけての「形成期=変革期」、天皇制や寄生地主制の支配が確立した「停滞期」と敗戦以後の「解体期=変貌期」に区分しているが、丸山の共同体評価は、この停滞期のモデルに、西欧市民社会の優性な理念型から抽出したモデルを比較しているという訳である。
 次に、「家族国家論」についてだが、ここでは吉本隆明が「共同幻想論」で切り開いた知見が援用され、家族は「対幻想」を基底とする共同性であり、家族-村落共同体-国家の共同性はそれぞれ異なった位相にあるとみられている。そして、共同性が異なる位相に移行される場合は、必ず擬制的に行われるのであり、「幾段階もの複雑なイデオロギー的媒介や飛躍が必須のものとなってくる」(304頁)と規定している。そして、丸山はその操作を、縄文以来の固有信仰にまで遡り、「日本人固有の思惟様式」なる概念を動員し、それを媒介に付することでその移行を説明しようとしているが、色川は、その操作がうまくいっているとは思えないと述べている。しかしこれ以降、本書における丸山批判は半ばで腰砕けの状態となってしまっている。
 おそらく色川が企図していたのは、歴史事実を踏まえた内在的な天皇制批判であり、丸山真男の天皇制批判は外在的なものに留まっており、「精神構造としての天皇制」の最深部まで批判の刃が届いていない、ということをいいたかったのではないかと思うが、議論が輻輳し丸山真男の「家族国家論」批判は宙に浮いてしまう形になっている。
 だが、「家族国家」という観念は、明治期に成立した近代天皇制が自らのあるべき姿として思い描いたものであり、大日本帝国が曲がりなりにもあの総力戦へと「大衆」をも含む「国民」の意志を収奪し得たのは、天皇制という体制において、この「家」と「国」との接合が擬制的に成立していたからであろう。そして色川は、日露戦争後の1910年(明治43年)頃に作成された国定の小学校教科書や「尋常小学国語読本」の記述に、そのような「家」と「国」との擬制的接合を成し遂げた近代天皇制の一応の完成をみている。色川は、その接合手段として天皇制が体系的にとった方法は、以下の四点に集約できると論じている。

① 明治天皇を国家統一のシンボル的ヒーローに仕立て上げる操作
② 国家神道を通じた祖先崇拝の動員
③ 危機意識の扇動(民族ナショナリズムの高揚)及びその手段としての戦争
④ 国家教育による馴致~国定教科書の洗練と完成

 色川は、本章の後半部をこれらの実例を挙げた分析に割いており、各論は各論として、なかなかに興味深い内容なのだが、これに立ち入っているとまだまだ長くなってしまうので、ひとまずここで了としておきたい。

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色川大吉「明治の文化」①


 明治精神史の碩学、色川大吉の古典的名著である。
 2007年に岩波現代文庫で復刊されているが、元は1970年4月13日に岩波書店の日本歴史叢書の一冊として刊行されたもの。遅まきながら私が読ませて頂いたのはそちらの旧い方の版である。
 本書のタイトル「明治の文化」というのは編集部から与えられたものだそうだが、色川はこれに他に類のない内容を盛り込んで本書を仕上げている。彼は通常の文化史のような個別文化ジャンル毎の変遷を追う構成は採らず、明治の文化の担い手とは何者だったとのかというテーマを掲げ、上は維新政府の開化官僚や知識人から、下は文字なき無名の民衆にまで測鉛を下ろし、明治日本に生じた社会変動が、それらの人々にどのような思想を胚胎させ、育まれていったかを描いていく。
 一言でいうなら、明治という時代は、西欧近代という、日本史上かつてない外来文化の衝撃を浴び、その嵐の中で辛うじて国家的独立を保ち得た時代であるが、色川は、その近代化のモメントとして、「民主主義」「自我・個人主義」「資本主義」「ナショナリズム」の四要素をその構成要件として、それらが明治の日本社会でどのような内的連関をもって立ち現れていったかを描出しようとしている。これらの構成要素は、色川自身が示唆しているように、何も日本固有のものではなく、近代化というプロセスにおいて不可避的に出来する汎世界的な思想形象ということができるが、明治の日本において、民主主義と個人主義は「自由民権運動の挫折とともに、その発展をはばまれ」、資本主義とナショナリズムの「性格を歪んだものとして規定してゆくが、明治の場合にはその矛盾構造の焦点、結節点として“天皇制”の問題がうかびあがってくるのである」(18頁)と素描されている。
 つまり、本書は「明治の文化」の性格を規定している基本的な指標とされる「折衷性」「「家」意識」「土着性、地縁性」「ナショナリズム」「公共性・市民的性格の欠如」等々の特性を「精神構造としての天皇制」として関連づけようとする試みであり、その形成過程を色川独自の視点から発生史的に読み解こうとしたものである。
 順を追ってみると、本書は序章+以下に示す8つの章で構成されている。

 Ⅰ 草の根からの文化創造
 Ⅱ 欧米文化の衝撃
 Ⅲ “放浪の求道者”
 Ⅳ 漢詩文学と変革思想
 Ⅴ 民衆意識の峰と谷
 Ⅵ 明治文化の担い手
 Ⅶ 非文化的状況と知識人
 Ⅷ 精神構造としての天皇制

 本書の前半Ⅰ~Ⅳは、色川自身が関係したある発見の衝撃によって成立したものといって良いだろう。1968年、武蔵国多摩郡深沢村(発見当時は五日市町、現あきるの市)の土蔵の中から出てきた夥しい数の古文書のなかに、数々の自由民権運動にかかわる史料とともに「五日市憲法」と呼ばれる私擬憲法が見出されたのである。
 Ⅰでは、柳田国男の業績に導かれながら日本の山村が維新の衝撃をどう受け止めたかが素描され、その末尾で五日市憲法発見の状況報告がなされている。
 Ⅱでは、維新の指導層が欧米の衝撃をどのように受け止めたかについて、木戸孝允を典型的な例として示されるとともに、初期の福沢諭吉の著書(「学問のすすめ」の初編~三編)が持っていた衝撃力の大きさが語られている。
 Ⅲは、五日市憲法編纂の中心人物、千葉卓三郎にスポットライトが当てられ、彼の短い生涯(享年31歳)における思想遍歴とともに、その最終舞台となった五日市という山村における自由民権運動の昂まりが活写されている。
 Ⅳは、一般的な明治文学史においてはほとんど取り上げられることのない、漢詩文学に焦点を当てたもの。山路愛山の説によると、明治には、14~15年、20年代初頭、32~33年、41~42年と四つの流行期があったが、その最初期の流行こそ最大のもので、それは、権力への定着を成し遂げた官僚群と、勃興する階級となった全国の豪農・富農層との二つの表現欲求が大きな波頭となって成立していると説かれている。そして、後者の代表として五日市憲法のもう一人の立役者、深沢権八等の漢詩文に着目し、そこに政治と文学のつかの間の幸福な統一を看取している。
 ここまでを本書の前半とすると、そこに描き出されているのは、明治の前半期における地方や山村における自由民権運動の昂まりと、色川以前には、ほとんど文化史の中で取り上げようともされなかった、豪農・富農層によって担われた、明治前半期の文化状況である。
 しかし、豪農・富農層は文字ある者であり、決して明治社会の底辺を成す者ではない。色川は、さらに文字なき者による底辺の文化状況を見出そうと試みる。それがⅤの「民衆意識の峰と谷」で、その対象として秩父暴動が取り上げられる。色川は、この秩父暴動(蜂起)への参加者の民衆意識を捉えようとするとともに、それに反発し、嘲笑した側の民衆意識も摘出しようとする。それが「峰と谷」という訳だ。色川は蜂起の中で「乍恐天朝様ニ敵対スルカラ加勢シロ」と叫んだ大野苗吉にその峰を見出し、「秩父ぼうとたいさんくどき」と「時勢阿房太郎経」というパンフレットに谷を見出している。
 続くⅥは、明治後半期にかけての知識階級の成立と彼らの煩悶が、徳富蘇峰、田中正造、牧野富太郎、南方熊楠、野口英世、柳田国男、正宗白鳥、中里介山、北村透谷、田岡嶺雲、内村鑑三、岡倉天心、二葉亭四迷、夏目漱石、森鴎外、永井荷風、石川啄木といった名とともに点綴され、足早に瞥見されている。
 そしてⅦは、明治末年における東北の農村の惨状において、黙って忍従し、餓死してゆく人々の心性の謎を長塚節の「土」と真山青果の「南小泉村」という二つの文学作品において読み直すとともに、日露戦争従軍の上等兵が書き留めた紀元節のかえ唄に見られる“奈落”の意識が読み解かれる。この時代、自由民権運動が盛んだった明治前半期の農村の活況は見る影もない。理想が失われ、停滞する明治農村の惨状は、他にも、田山花袋の「田舎教師」、島崎藤村の「破戒」、夏目漱石の「坑夫」、国木田独歩の「窮死」等にも反映している。石川啄木が「時代閉塞の現状」を書いたのもこの時期のことである。そして、色川はこの惨状において明治天皇制の完成を見ている。
 では、色川は明治期を通じて形成された天皇制をどのように捉えているのか?それを検討しているのがⅧなのだが、少し長くなったので、Ⅷについては、稿を改めて紹介することとしたい。

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京都学派と日本海軍 新史料「大島メモ」をめぐって 大橋良介著(PHP研究所 2001年12月28日)

 本書は太平洋戦争戦時下の京都学派と帝国海軍の協力関係を「大島メモ」なる新史料に基づいて紹介したもの。
 戦時下の京都学派といえば、真っ先に念頭に浮かぶのが「近代の超克」と銘打たれた文學界誌上における有名な座談会であるが、その「近代の超克」を裏打ちする形で、西田幾多郎及び田辺元を介して、その門下に連なる第二世代京都学派の哲学者たち(高山岩男、高坂正顕、西谷啓治、宮崎市定、鈴木成高、日高第四郎、木村素衛)を主要常連メンバーとする海軍秘密会合が開催されていたことを証拠立てる一次史料が本書で紹介している「大島メモ」である。この秘密会議は1942年(昭和17年)2月を初回として、以後昭和20年7月まで継続開催されているようで、時折田辺元や柳田謙十郎も顔を出している。ただし、「大島メモ」に残された会合の記録は昭和18年の第18回で途切れている。
 この会議の構想は戦前まで遡る。時の海軍大佐、高木惣吉が、陸軍の戦争意志の抑止を図るべく海軍調査課に「ブレーン・トラスト」を設置することを考え、西田幾多郎を通して京都学派への協力を要請した。その結果動き出したのがこの秘密会議なのだが、時すでに遅く、軍は米英との開戦を決意するに至る。この軍の意向を高木の口から耳にした西田幾多郎は「君たちは国の運命をどうするつもりか!今までさえ国民をどんな目に会わせたと思う。日本の、日本のこの文化の程度で、戦いもできると考えているのか!」(39頁)と激怒したという。
 だが、誰も動き出した船を止めることはできない。この秘密会議の目的は、戦争阻止から日本に優位な和平を如何に勝ち取るかに移っていく。また、緒戦の捷報は、彼らにも米英との戦争に勝利するという幻想を懐胎せしめたのか、初期の会合では、高山岩男の「世界史の哲学」による戦争理念の構築や田辺元の種の理論に基づく共栄圏の構想が検討の俎上に上がっている。戦局が未だ日本に優位に推移していた昭和17年(6月にはミッドウェイ海戦で大きな敗北を喫しているが)、京都学派の哲学者たちは、戦勝後、世界思想を領導する自らの哲学を幻想し得たのか。「近代の超克」という座談会が行われたのも正にこの頃のことである。
 しかし、昭和18年の「大島メモ」には既に敗戦の予感がほの見える。
 本書は、この太平洋戦争に乗り出してしまった京都学派を、戦艦の操舵室から追い出されてしまった乗組員に喩えている。彼らは操舵室の外から舵取りする方法を必死に求めるが、所詮それは無理な相談である。あとは水が低きに流れるように戦局は下降線の一途を辿っていく。
 大島メモの筆者は主として大島康正という哲学者である。彼は当時京都大学文学部の副手という立場にあり、メンバーへの連絡や会合の内容を記録して海軍に報告するという事務方の役割を一手に引き受けていた。その学問的立場は、田辺元の愛弟子でありながら、その哲学を継承発展させるように、戦後「時代区分の成立根拠」と「実存倫理の歴史的境位 神人と人神」という哲学的主著を書き上げている。しかし、大島は、それを機に哲学的思索の展開から撤退してしまう。
 本書は、この大島の哲学を、戦後、「近代の超克」をたった一人で担おうとした二週目ランナーの孤独な作業とみなし、ヘーゲルの精神現象学とフッサール現象学を両睨みに見据えつつ「限界状況に立たされた実存の現象学」として構想されたものと位置づけている。その当否はここでは判断できないが、そのスタンスは笠井潔の「テロルの現象学」におけるそれを彷彿とさせるものであることは留言しておきたい。

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