3.11を画期として書かれた原発と原爆をめぐる川村湊の文芸評論である。
俎上にのぼる作品は、ゴジラとアトム、ナウシカとAKIRA、黒澤映画、はだしのゲン等、以下の作品が取り上げられている。
小説・まんが・評論・ルポルタージュ等:丸木位里・赤松俊子「ピカドン」、井伏鱒二「黒い雨」、正田篠枝「ざんげ」、現代詩人会編「「死の灰詩集」、広島市原爆体験記刊行会編「原爆体験記」、香山滋「怪獣ゴジラ」、手塚治「鉄腕アトム」、中沢啓治「はだしのゲン」、松本清張「神と野獣の日」、永井隆「長崎の鐘」「この子を残して」、宮崎駿「風の谷のナウシカ」、水上勉「故郷」、井上光晴「西海原子力発電所」、高嶋哲夫「原発クライシス」、高村薫「神の火」、東野圭吾「天空の蜂」、たつみや章「夜の神話」、広瀬隆「東京に原発を!」、吉本隆明「「反核」異論」、堀江邦夫「原発ジプシー」、森江信「原子炉被曝日記」、長井彬「原子炉の蟹」、高木仁三郎「プルトニウムの恐怖」、生田直親「原発・日本絶滅」、大友克弘「AKIRA」
映画:黒澤明「生きものの記録」「八月の狂詩曲」「夢」、本多猪四郎「ゴジラ」「空の大怪獣ラドン」「地球防衛軍」「大怪獣バラン」「マタンゴ」「美女と液体人間」「宇宙大怪獣ドゴラ」「ガス人間第一号」「フランケンシュタイン対地底怪獣」、小田基義「ゴジラの逆襲」「透明人間」、坂野義光「ゴジラ対ヘドラ」、松林宗恵「世界大戦争」、白土武「黒い雨にうたれて」、深作欣二「仁義なき戦い」、吉村公三郎「その夜は忘れない」、宮崎駿「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」、大友克弘「AKIRA」、橋本幸治「ゴジラ」、大河原孝夫「ゴジラVSデストロイア」、池田敏春「人魚伝説」、森崎東「生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」、山川元「東京原発」
著者は3.11直後に、怒りにまかせて書いたという「福島原発人災記」なる著書を上梓しており、本書は、その怒りを自らの内側にぶつけるように書いたという。
本書の基本的な構えは、戦後の日本文化が何よりも核に対する被爆/被曝被害において、世界に流通してきたのだ、というものであり、その視点を通して戦後の様々な作品群を再点検しようとした試みである。
非常に誠実な試みであるし、短期間(著者は本書をほぼ1ヶ月で書き上げてしまったらしい)でまとめた割にはよく書かれていると思うが、ゴジラとアトムに拘泥するのは、やはり全共闘世代の特性なのか、加藤典洋も「3.11死に神に突き飛ばされる」で似たようなフレームで論じていた。
尤も、本書は10年ほど前、法政大学の「異文化」に発表された「文化を研究するとはどういうことか-「原爆」はどのように語られてきたか」を下敷きにしているようで、そういえば、読んでいる際にどことなく読んだことがあるようなデジャヴを感じる部分があった。
10年前、確かボアソナードタワーと法政の国際文化学部のこけらおとしで、柄谷行人とベネディクト・アンダーソンの対談をメインに据えたイベントがあり、私も友人等とそれを聴講した覚えがある。その時頂戴したのが、その「異文化」の1号で、確かに、件の論文が巻等に掲載されている。
PR
COMMENT