「バイ・バイ・エンジェル」「サマー・アポカリプス」「薔薇の女」「哲学者の密室」「オィディプス症候群」に続く矢吹駆シリーズ第6作目。つまり「青銅の悲劇」はその帯に銘打たれていたように、「日本篇」ということで別枠扱いということになる。
全編合わせて八百頁の大冊。本作のストーリーは「オイディプス症候群」の直後から始まる。語り手は、ミノタウロス島の窮地を脱して帰国したものの、その事件のPTSDに苦しむナディア・モガール。そこに、脱血屍体を生成する連続殺人事件が生起する。事象の混濁(混線)により、苦戦する現象学探偵、矢吹駆。
そして、このシリーズでお馴染みの探偵と現代思想家との思弁的対決。今回は「フロイト回帰派」の総帥と位置づけられる精神分析家ジャック・シャブロルと、そこからアブジェクション論をもって離反しようとしている弟子のジュリア・ヴェルヌイユが展開する精神分析理論がその対象となっている。この2人が実在の誰をモデルにしているかは一目瞭然であろう。
つまり、本作の方法とコンセプトは、サマー・アポカリプスで確立されたスタイルをそのまま踏襲したものである。
さて、その評価であるが、もちろん本作も力作には違いないのだが、私は「哲学者の密室」を最後に、本シリーズは現実との緊張関係を失い、哲学的会話を過剰に散りばめただけの本格ミステリーに成り下がってしまっている、ととっている。
この、現実との緊張関係の喪失という点については、時代状況の変化によるところが大きく、そのことは著者も重々承知の上なのだと思うが、そうなってしまうと、やはり本作の劇中における探偵とジャックやジュリアとの思弁的対決は、行き場を失った剰余に成りさがらざるを得ない。その点では、まだしも日本篇の「青銅の悲劇」の方が可能性を感じさせる部分があったように思われる。
そして、ラカンやクリステヴァの思想的意義を問うのであれば、このようなやり方は決して効率のいいやり方ではないし、誤解も招きやすい。まあ、評論として出版するよりは読者数は確実に多くなるであろうから、その点が唯一の利点とはいえるだろうが。
しかし、笠井潔は、本シリーズを完結させるつもりなら、次作にはもう少し方法的な工夫が必要ではないかと思うが、いかがであろうか。
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