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東西南北舎

東西南北舎は東西南北人の活動に伴い生成したテクスト群の集積地である。「東西南北人」は福岡の儒者亀井南溟が秘蔵した細川林谷篆刻の銅印。南溟の死後、息子の亀井昭陽から、原古処、原釆蘋、土屋蕭海、長三洲へと伝わり、三洲の長男、長壽吉の手を経て現在は福岡県朝倉市の秋月郷土館に伝承されたもの。私の東西南北人は勝手な僭称であるが、願わくば、東西南北に憚ることのない庵舎とならんことを祈念してその名を流用させて頂いた。

   

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維新政権 松尾正人著(吉川弘文館1995年8月)

 廃藩置県の研究者として著名な松尾正人の明治初年における政権史である。
 丁卯冬、即ち慶応3年の王政復古クーデターから、明治4年7月、廃藩置県の断行までの期間、政権を執った政府を本書は維新政権と規定している。そして本書では、その維新政権を明治元年から明治4年にかけて、単年毎に論述している。
 この間の政府において行われた主な事跡としては、明治元年は五箇条誓文の発布と天皇の東行(事実上の東京遷都)、明治2年が二官六省の創設と版籍奉還の断行、明治3年が民蔵分離、明治4年が廃藩置県ということになるが、この間の主役はやはり三条実美と岩倉具視及び木戸孝允と大久保利通ということになる。
 この廃藩置県の断行が明治4年の7月14日で、その4ヶ月後の11月12日(いずれも旧暦)に岩倉遣欧使節団が約1年半の長途へと出立する。この岩倉使節団には、この「維新政権」の立役者4名中3名が参加しており、居残りは三条実美のみとなっている。
 このことは、岩倉ミッションが如何に大掛かりなものであったのかを示すとともに、使節団参加メンバーと留守政権とを政治的に分かつことになる訳だが、その部分については本書の主要な論述対象とはなっていない。
 けれども本書は、明治6年の政変と「征韓論」については、毛利敏彦以前の通説を踏襲する見解をとっている。
本書の基本的な部分は、丹念な文献精査の積み重ねによって書かれており、一つ一つの事跡に関する論評は、私のような素人が反駁する余地のないものといえるが、トータルな読後感は、そりゃ違うんじゃないの、という感が強く残った。
 これが歴史の恐ろしさというべきか、明治6年の政変の捉え方ひとつで、全般的な認識が大きく異なってくるのである。

 それから、本書には長三洲が二箇所において登場する。一つは「新聞雑誌」の発刊者として、今ひとつは「新封建論」の著者静妙子としてである。
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完本 情況への発言 吉本隆明著(洋泉社 2011年11月2日)

 吉本隆明氏が亡くなって10日過ぎた。

 あれは亡くなる2~3週間くらい前だったか、久しぶりに神保町で本を漁っているときに、本書をみかけ、1800円で入手した。
 すぐに読む気はなかったのだが、なんとなく気になって読み始めたところで、その訃報を友人からのメールで目にした。
 吉本というと「共同幻想論」や「言語にとって美とはなにか」或いは「心的現象論序説」ということになるのだろうが、私が学生の頃は「マス・イメージ論」や「「反核」異論」の頃で、わが母校では、栗本慎一郎との対談「相対幻論」なんかがマスト・アイテムだった。まさにニューアカブーム全盛の頃である。

 吉本25時というイベントの客席にいたことがある。1987年9月12日14時から9月13日14時まで、東京・品川のウォーター・フロントにある寺田倉庫T33号館4Fで、吉本隆明・三上治・中上健次の三氏主催で「いま、吉本隆明25時―24時間講演と討論」と題するイベントが行われた。
 講演者は、3人の主催者以外に、前登志夫、宇野邦一、加藤尚武、島田雅彦、呉智英、都はるみ等々。会場には荒木経惟や山田詠美、糸井重里等の顔も見えた。吉本の姿を見たのは、あれが最初で最後である。

 本書は「試行」で35年間(1962~1997年)に渡って書き継がれた、吉本隆明の悪戦の記録である。
 この35年間で、吉本の論敵は様々に移り変わっていくが、多くの場合、吉本は彼らを「スターリニスト」と呼び習わしてきた。
 吉本のいうスターリニストとは何か?これを示すのはなかなかに困難なのだが、吉本が彼らを根底から批判し尽くそうとしてもち出してきたのが「アジア的ということ」であり、この「情況への発言」の中で、1980年から1983年にかけて途中「「反核」問題をめぐって」をはさみ、「アジア的ということ」のサブタイトルを付されて7回にわたって連載されている文章が、この分厚い論争の書の白眉といえる部分である。
 最初にこれを読んだ当時の私には吉本が「アジア的ということ」を通して何が言いたいのかが今ひとつよくわからなかった。今も十全に理解できている訳ではないが、渡辺京二の仕事等を通して、あの頃よりは腑に落ちる部分がないではない。
 だが、この「アジア的ということ」への拘泥によって、吉本は、自らの思想の展開にとって恐るべき断崖とその深淵を見はるかすことになってしまったのではないだろうか。今の私には、その問題を十分に論じる能力はないが、この「アジア的ということ」への吉本の構造的な拘泥は、吉本思想のつまずきの石となってしまったのではないかという気がしてならない。私がそのように思うのは、渡辺京二という、同じようにアジア的なるものに拘泥しつつも、吉本とは全く異なった方法でアジア的なるものの輪郭を、鮮やかに描き出した一個の思想家を知っているからである。

 今はともかく、この「情況への発言」から、吉本のいう「アジア的ということ」について、幾つかメモしておく。
 吉本のいう「アジア的ということ」はマルクスが東インド会社のインド支配の過程から見出したものであり、吉本はこの分析から「思わず嘆声を挙げるほど驚かされる点」を二つ指摘している。

++ひとつはアジア的な制度と心性からは奇異に感ぜられるが(そして奇異に感ぜられることが重要であるが)、ヒンドスタン-アジアをはじめに、経済的にそしてだんだんと政治的に従属させていったのは原則的には、国家の政治的権力とは区別されるべき民間の社会的勢力であったということである。(299頁)

++もうひとつはインドのアジア的な、社会的政治的な制度の特質を鋭く抽出し、英国の支配によってもたらされた決定的な近代の悲惨とそして近代化の不可避性とを摘出したことであった。(300頁)

 吉本は、ここから取り出された問題の再演をロシア革命に見て取る。

++わたしたちはロシア政治革命におけるレーニンらの理念のうちに、あたうかぎり理想的な形で展開された「近代化」(近代の止揚)を視たかにおもえた。けれどレーニンらは、ある意味ではインドにおける英国とおなじ問題に直面し、おなじことをやったと言うこともできる。ただこのばあいあきらかに問題は二重であった。ミール共同体の強固な構造に象徴されるロシア社会のアジア的な構成は絶滅し止揚されるべき遺構としてあらわれるとともに、レーニンらの中央集権的な専制(いわゆるプロレタリア独裁)にたいして、そのままの形でこそ最も大きな観念的な基礎を与えるものであった。(中略)レーニンらの意図した抑圧された労働者勢力による「近代化」(近代の止揚)は一面では近代以前の永続するアジア的な専制の遺構への退化であり、他の一面では西欧資本主義的な高度な技術と生産手段の計画的な投入によるミール共同体的な農耕村落の徹底的な破壊を意味したのである。(303頁)

 さらに吉本は、このレーニンらによって遂行されたロシア革命において、マルクスのいう「プロレタリアートの独裁」という概念が、レーニンによって倫理的に矮小化され、アジア的な専制国家の統制概念に置き換えられてしまっていることを弾劾して次のように記している。

++このレーニンの貧弱な歪曲されたファッショ的な国家画像にこそマルクスが<アジア的>に受容されたときのひとつの典型が、ロシア的な典型が象徴されている。ここでは、ほんらい武装力と国家警察による大衆の監視機構と、全大衆のリコール制によって常に解任されうる国家機関と、けっして非国家機関の大衆の賃金を上廻る(ママ)ことのない賃金しか手にしない国家機関員とを支柱とする、いわば人間の<自由>と<解放>とが先取りされたコミューン型国家、死滅にむかって開かれた国家の画像は窒息させられてしまっている。レーニンやトロツキーはロシア・マルクス主義者のうちとび抜けて闊達な、とび抜けて解放された思想の持主だったが、それでも不可避的に<アジア的>な停滞のなかに、マルクスの理念を封冊(ママ)し終息させている。(320頁)

 そして、吉本によって、このようなロシア・マルクス主義の言説に支配され、あるいはその片棒を担ぐ論者は須く「スターリニスト」との烙印が押されていくことになる。
 だが、吉本の「アジア的ということ」はここに立ち止まるのではなく、そこから、世界思想として問題となる「アジア的」なことの考察に向かう。その際、吉本はそこには3つの問題があることを指摘している。

 ① 共同体の問題としての<アジア的ということ>
 ② <アジア的>生産様式
 ③ <アジア的>専制としての政治形態あるいは権力形態

 これらの問題を解くためには、その後の吉本の著作全てを再点検する必要があるが、それは今後の課題ということにさせて頂きたい。

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西郷隆盛と“東アジアの共生” 高大勝著(社会評論社 2010年8月)

 明治6年の政変で、西郷隆盛や江藤新平が征韓論を唱えて下野したとされる歴史の通説については、毛利敏彦の仕事を端緒として、ほぼ覆されつつあるが、今の歴史の教科書にはどのように書かれているのであろうか。相変わらず、勝者(大久保利通・伊藤博文)側の観点にたった記述がなされているのだろうか。もし、そうであるならば、それはすぐにでも書き改めるべきであろう。
 本書の著者は自ら記しているように、在日コリアンの2世である。そのような著者が明治維新の功労者の中でも一際謎の多い西郷を論じて、「征韓論者」という西郷の虚像を覆し、幻想の東アジア連合という、あり得たかもしれない歴史的可能性の検証を試みたのが本書である。
 本書において、明治6年政変時の歴史的な考証については、概ね毛利敏彦が展開する議論の枠内にあるといえるが、本書の独自性は、西郷の出自と生い立ちにおいて朝鮮との親和性が生じる必然性を焙り出した点にあり、明治6年の時点で西郷が朝鮮使節として派遣されていたら、その後の東アジア史はまったく異なったものとなっていたのではないかという想像を誘う。
 (東アジアはともかく、明治6年の政変が西郷や江藤の側の勝利に帰していたら、その後の日本はまったく違った進路を歩んでいたのではないかという想像はすでに私の妄執のひとつとなっている。)
 西郷が生まれ育ったのは、鹿児島の下加冶屋町であるが、下加冶屋町は甲突川を挟んで高麗(これ)町と接している。この高麗町は、その名が示すように鹿児島における朝鮮系渡来人の集団居住地であり、本書が焦点を当てているのは、このような西郷の出自や、薩摩藩自体の朝鮮との交流史である。
 そもそも島津氏自体が秦氏の血を引く一族であるという議論はともかく(現在の島津宗家はこれを否定しているそうである)、秀吉の朝鮮出兵に駆り出された島津義弘は現地の陶工を拉致し、鹿児島に連れてくる。これが現在の薩摩焼の開祖となる人々であり、彼らは高麗町への転居を拒み、苗代川(現在の日置郡東市来町美山)に居を構える。
 薩摩藩はこれらの陶工の功績を評価・保護し、「朝鮮筋目の者」として藩の中で独自の地位を与えるようになる。
 本書によると、西郷は斉彬の参勤交代のお供として、幾度か苗代川を訪れ、当地の陶工と交流しているという。そのような交流の中で、朝鮮人の儒教思想と礼に厚い生き方に共感していたのではないか、というのが本書の論点のひとつである。
 また、今ひとつが、大久保と竹馬の友というのは、虚構の産物ではないかという説である。大久保が生まれたのは、先に示した高麗町であり、確かに西郷の生家とそう遠くはないようだが、同じ町内ではない。大久保の生い立ちには、謎が多く、幼少時に加治屋町に移り住んだと伝わっているが、それが何時かは定かでない。本書は、14歳までは高麗町で育ったという説をとっている。
 結局、大久保は岩倉ミッションへの参加で、ミッション前に有していた明治政府内部での立場を失っており、その失地回復のために、伊藤を奔らせ、岩倉を動かし、強引なクーデターをやらかした訳である。梟雄という言葉があるが、大久保は正に明治維新における梟雄である。常に自己保身と裏切りの影が見え隠れしている。そして、それを良しとする風潮が今の政治家や官僚に全て繋がっている。
 それはともかく、本書は内容の割りに筆致は冷静であり、よく調べて書いている。
 ただし、西郷論として読むと、西郷がもっていた暗さの部分を掬いきれていない感が残る。かつて、渡辺京二は西郷を「異界の人」「死者の国からの革命家」として論じていたが、本書の描き出す西郷には、そのような影の部分、(思想としての西郷の根幹)が抜け落ちていると感じられた。

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原発と原爆---「核」の戦後精神史 川村湊著(河出書房新社 2011年8月2日)

 3.11を画期として書かれた原発と原爆をめぐる川村湊の文芸評論である。
 俎上にのぼる作品は、ゴジラとアトム、ナウシカとAKIRA、黒澤映画、はだしのゲン等、以下の作品が取り上げられている。

小説・まんが・評論・ルポルタージュ等:丸木位里・赤松俊子「ピカドン」、井伏鱒二「黒い雨」、正田篠枝「ざんげ」、現代詩人会編「「死の灰詩集」、広島市原爆体験記刊行会編「原爆体験記」、香山滋「怪獣ゴジラ」、手塚治「鉄腕アトム」、中沢啓治「はだしのゲン」、松本清張「神と野獣の日」、永井隆「長崎の鐘」「この子を残して」、宮崎駿「風の谷のナウシカ」、水上勉「故郷」、井上光晴「西海原子力発電所」、高嶋哲夫「原発クライシス」、高村薫「神の火」、東野圭吾「天空の蜂」、たつみや章「夜の神話」、広瀬隆「東京に原発を!」、吉本隆明「「反核」異論」、堀江邦夫「原発ジプシー」、森江信「原子炉被曝日記」、長井彬「原子炉の蟹」、高木仁三郎「プルトニウムの恐怖」、生田直親「原発・日本絶滅」、大友克弘「AKIRA」

映画:黒澤明「生きものの記録」「八月の狂詩曲」「夢」、本多猪四郎「ゴジラ」「空の大怪獣ラドン」「地球防衛軍」「大怪獣バラン」「マタンゴ」「美女と液体人間」「宇宙大怪獣ドゴラ」「ガス人間第一号」「フランケンシュタイン対地底怪獣」、小田基義「ゴジラの逆襲」「透明人間」、坂野義光「ゴジラ対ヘドラ」、松林宗恵「世界大戦争」、白土武「黒い雨にうたれて」、深作欣二「仁義なき戦い」、吉村公三郎「その夜は忘れない」、宮崎駿「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」、大友克弘「AKIRA」、橋本幸治「ゴジラ」、大河原孝夫「ゴジラVSデストロイア」、池田敏春「人魚伝説」、森崎東「生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」、山川元「東京原発」

 著者は3.11直後に、怒りにまかせて書いたという「福島原発人災記」なる著書を上梓しており、本書は、その怒りを自らの内側にぶつけるように書いたという。
 本書の基本的な構えは、戦後の日本文化が何よりも核に対する被爆/被曝被害において、世界に流通してきたのだ、というものであり、その視点を通して戦後の様々な作品群を再点検しようとした試みである。
 非常に誠実な試みであるし、短期間(著者は本書をほぼ1ヶ月で書き上げてしまったらしい)でまとめた割にはよく書かれていると思うが、ゴジラとアトムに拘泥するのは、やはり全共闘世代の特性なのか、加藤典洋も「3.11死に神に突き飛ばされる」で似たようなフレームで論じていた。
 尤も、本書は10年ほど前、法政大学の「異文化」に発表された「文化を研究するとはどういうことか-「原爆」はどのように語られてきたか」を下敷きにしているようで、そういえば、読んでいる際にどことなく読んだことがあるようなデジャヴを感じる部分があった。

 10年前、確かボアソナードタワーと法政の国際文化学部のこけらおとしで、柄谷行人とベネディクト・アンダーソンの対談をメインに据えたイベントがあり、私も友人等とそれを聴講した覚えがある。その時頂戴したのが、その「異文化」の1号で、確かに、件の論文が巻等に掲載されている。

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江藤新平伝―奇跡の国家プランナーの栄光と悲劇 星川栄一著(新風舎 2003年11月)

 著者の来歴が不明である。
 随分以前に購入した本だったのだが、ずーっと読まずに放っておいた本である。
 著者あとがきによると、毛利敏彦の「江藤新平」と鈴木鶴子の「江藤新平と明治維新」を底本として江藤の業績を読みやすくまとめたもののようである。
 確かに読みやすく、所謂俗説の「征韓論を主張して敗れ、下野し、不平士族を率いて佐賀の乱を起こして処刑された人」としか認識していない人がこれを読めば一驚する本だと思う。
 著者は純正の江藤ファン(かくいう私もその一人のつもりだが)のようで、官僚としての江藤が如何に優秀で、時代の遥か先を行ったスーパーテクノクラートであったについてを記述している部分は少々筆が走りすぎの感を否めないが、伊藤博文の策謀により明治六年の政変を迎え、大久保利通に陥れられ佐賀の乱の首謀者に祭り上げられ、ついには不当な暗黒裁判により殺されるくだりは、なかなか読ませる文章になっている。
 江藤新平を知らない人は、是非読んでみてほしい。

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東西南北人(中島久夫)
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