写真一葉一葉に作者の言葉が添えられた、詩画集ならぬ詩写真集というべき著作物である。私はそれほど写真に詳しい訳ではないが、このようなスタイルで有名なのは藤原新也だろう。
一葉一葉の写真はとても美しい。大地の景観を空から俯瞰で捉えたもの、見上げるような形で捉えたもの、木々、動物たち、そして岩手や福島/フクシマの被災地とそこで表情を失った人々。その一方、ラダック、アンデス、イェルサレム、アフガニスタン、あるいはカシミールの表情豊かな人々。一視同仁で語るのは容易いが、その間に開いた裂け目のなんと大きなことだろう。
添えられた言葉は、世界の「祈り」を目撃した写真家の言葉だ。表現としての写真は、当然のことながら被写体を必要とする。だが、その表現が内的なものへと向かう場合、いったい写真家にとって何が被写体たり得るだろう。
おそらく「祈り」とは内的表現の究極的な様態である。そして、それは本来表現の対象たり得ない、言葉ならざる言葉だが、祈りを目撃することはまた祈りへと連なり、祈りへと推参する行為なのかもしれない。
祈りを伝えることは絶望的に困難な営みだ。写真家の言葉は当然の事ながら映像の影へと埋没せざるを得ない。けれども、そのような光景を追い求め、語ることを止めないことも大切なことなのだ。
本書は、そのような「祈り」に憑かれた写真家の巡礼の行跡を示すものである。
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