著者は、元朝日新聞の記者で現在は神戸松蔭女子学院大学文学部の教授。専門は日本近代思想史とメディア論とのこと。著者は2006年にも「日本海海戦とメディア-秋山真之神話批判」(講談社選書メチエ)という著書(残念ながら私は未読)を上梓しており、本書はその再説というべきもの。
本書の主張は、要するに、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が造形した秋山真之の知謀なるものは、海戦後に、当時の海軍上層部がデッチ上げた虚像であることを示したもので、その論拠となっているのが、司馬が同書執筆当時参照することができなかった1981年発見の資料「極秘・明治三十七八年海戦史」(海軍軍令部編纂)である。
本書の主張を結論からいうと、要するに日本海海戦の勝利は、非常に危うい橋を渡ったものであり、その作戦は秋山真之が考案したものでもない。当時の司令部は明らかに混乱しており、その混乱を隠蔽するために出来上がったのが東郷神話であり、秋山神話である、というものである。
論点は幾つかあるが、まずは日露戦争緒戦における旅順艦隊との海戦における所謂丁字戦法の失敗がある。この際の作戦指導(戦策)は秋山によるものだが、これが失敗に終わったことで東郷は丁字戦法に見切りをつける。このとき、東郷はスッパリ秋山を更迭すべきだったが、それができないのが東郷の優柔不断なところであり、秋山を変える代わりに参謀長を嶋村速雄から加藤友三郎に変更する。
以後の司令部の基本作戦を象徴するのが「同行戦、中央幹線上に占位せよ」という方針である。どういうことか。所謂丁字戦法とは単縦陣で直進する敵艦隊列の前面をこちらも単縦陣で横切り、先頭艦(旗艦)に艦隊全艦の片弦放火を集中し、これを撃滅するという戦法であるが、うまくいけば良いが、これを躱され逃げられてしまうと、以後の砲戦継続が著しく困難になってしまう。実際、黄海海戦で連合艦隊はこの戦法をとるが、旅順艦隊に見事に躱されてしまい、これを取り逃がす不始末となる。
これに懲りた東郷以下の司令部は、次は同行戦で、という考えに遷移する。それが「同行戦、中央幹線上に占位せよ」という方針となる。実際、バルチック艦隊との海戦では、執拗に同行戦を戦い結果オーライの大勝利となった訳だが、そこで邪魔になったのが、あくまでも丁字戦法に固執する秋山である。秋山はその後、初動での水雷奇襲案にいたる幾つかの作戦案(戦策)を提示するが、それらは尽く採用されずに日本海海戦を迎える。事実上秋山は干されていたのである。そしてそれこそがあの大勝利を呼び込むことになった原因の一つであり、司馬が「坂の上の雲」で描いた状況は全くのフィクションであり、事実は寧ろ逆だったというのが本書の主張の一つである。
「極秘・明治三十七八年海戦史」には、この作戦採用にかかる秋山とそれを押さえつけようとする司令部の攻防が明瞭に記録されているようである。
また、本書によると、当時の連合艦隊司令部の混乱はこれだけではない(詳細を知りたい方は本書を一読されたい)。
本書に書かれていることが事実だとすると、よくもあのような勝利を収めることができたものだと、逆の意味で感心するが、本書の著者は、先のTV化により、このような嘘で固められた秋山神話や東郷神話が史実と認識されていく様を危惧して本書をものしたようである。
あのNHKの番組に感動されている方がいるのであれば、本書はそのような方に是非一読して頂きたい書である。
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