僕等に出来ることはただ、生きているんだと
力尽きるまで、成す術無く叫び続ける、それだけなんだ ーsprinter
いうまでもなくKalafinaは、Wakana、Keiko、Hikaruという3人の女性ヴォーカルをフィーチャーした梶浦由記プロデュースのコーラス・ユニットだ。今年の2月28日と3月1日に、デビュー7年を経て、漸く日本武道館で単独ライブを行うに至ったが、それでも同じ女性3人のユニットであるPerfumeと比べると、日本国内での知名度はまだまだだろう。
そもそもKalafinaは、奈須きのこ原作のアニメーション映画シリーズ『空の境界』の主題歌を歌うためのユニットとして結成されたが、当初のコンセプトは『空の境界』限定のユニットとして、ヴォーカリストも固定したものではなく、デヴュー曲となった『空の境界』「第一章 俯瞰風景」の エンディングテーマ『oblivious』と「第二章 殺人考察(前)」のエンディングテーマ『君が光に変えて行く』、そして「第三章 痛覚残留」のエンディングテーマ『傷跡』はWakanaとKeikoの二人のみで歌われている。
やがて、そこにHikaruとMayaという2人のヴォーカリストが参加し、セカンドシングルとなった『Sprintar/Aria』では4人の名前がクレジットされている。しかし、その後すぐにMayaは脱退し、以後のメンバーは3人で固定され、現在に至る。転機となったのは『Lacrimosa』という、テレビアニメ『黒執事』のエンディングテーマで4thシングルのタイトルとなった曲のようで、以後、Kalafinaは様々なアニメーションの主題歌や挿入歌を手がけるようになり、NHKの『歴史秘話ヒストリア』のエンディングテーマ等にも採用されることとなる。
オリジナル・アルバムは2009年3月発売の『Seventh Heaven』、2010年3月発売の『Red Moon』、2011年9月発売の『After Eden』2013年3月発売の『Consolation』の4枚が制作されており、間もなく5枚目の『far on the water』が発売される。その他に2013年には5周年記念のライブセレクションアルバムが、2014年7月には『Red』と『Blue』と題された2枚のベストアルバムが発表されている。
とまあ、こういった情報は、ファンなら誰でも知っていることだろう。私がKalafinaを意識しはじめたのは割に遅く、2010年にTV東京で放映されたA-1 Pictures制作、神戸守監督のTVアニメーション『ソ・ラ・ノ・オ・ト』のオープニングテーマ『光の旋律』からだが、衝撃的だったのは、やはり『魔法少女まどか☆マギカ』の『Magia』だ。TV放映の第3話、急展開を迎えたストーリーの展開とも相まって、初めてエンディング曲として流されたこの曲の印象は強烈だった。
この『まどか』は、やがて3本の劇場版が制作されることになり、これらの劇場版でKalafinaは、『未来』『ひかりふる』『Magia [quattro]』『misterioso』『君の銀の庭』といった楽曲を挿入歌やテーマソングとして歌うことになる。しかも、これらの楽曲はいずれも見事な出来映えで、『まどか』というアニメーションフィルムの陰影に更なる厚みを与えることに成功している。
しかし、私が本当の意味でKalafinaに嵌まってしまったのは、つい最近、コンサート・ライブのBlueray Diskを視聴してからだ。Kalafinaは既に5setのライブ映像ディスクを発売しているが、私が視聴したのは3枚目のConsolation Live(東京国際フォーラム)と4・5枚目の日本武道館でのライブを収録したものの3枚だけで、最初の2枚はまだ未視聴である。
これらのライブ映像を視聴して驚かされるのは、彼女たちのライブ演奏のクォリティの高さだ。3人の声域はクラシック音楽の流儀でいうのであればWakana=ソプラノ、Keiko=アルト、Hikaru=メゾソプラノということになるのかも知れないが、そう単純なものでもない。彼女らは、必ずしもクラシックの声楽家たちのような発声をしていないし、合唱団のような歌い方をしている訳でもない。オーソドックスなベルカント唱法の訓練を受けているのはおそらくWakanaだけであり、KeikoとHikaruの歌い方も声質も、それぞれに全く異なるものだ。しかし、その三声が見事なハーモニーとダイナミックな音楽を奏で、Kalafinaでしか醸し得ない楽興をライブ演奏で生み出している。
Kalafinaの全ての楽曲は梶浦由記がプロデュースするものであり、作詞、作曲、編曲は全て梶浦の手になるものだ。その特徴は、6/8拍子をベースとした拍節を採用した楽曲が多いこと、西欧の教会旋法や中近東のマカームのコード等の技法が流用されていること、平均して5分前後の楽曲にも関わらず、必ずといっていいほど転調が挿入されているといった点を挙げることができるようだが、結果として、西洋的なものと東洋的なもの、ゴシックやアラベスクが融合されたかのような独特な音楽世界を構築している。これは私たち日本人からみて、かなりエキゾチックな響きに聞こえるのだが、おそらくそれは西欧からみても、そう聞こえるのではないだろうか。
また、「梶浦語」と呼ばれる造語が多用され、ジャズでいうところのスキャットのような歌い方がされている部分が多々あるが、それは、時に実際に歌詞として使用されているラテン語に近い響きをもたらしている。
ただし、歌われている内容は必ずしも目新しいものではない。Kalafinaの楽曲の大半は何らかのアニメーション作品や映像作品に随伴的に制作されたものであり、必然的に各映像作品のテーマに寄り添うように創られている。そのような場合、音楽に仮託されるのは、たいていは作品の中心的な情緒であり、そこに表出された感情や観念である。Kalafinaの楽曲はそのような作品世界を覆い包む叙情の器として作品への陶酔を構成するものとして創られている。そして梶浦は、その中心を過たず、深く射抜いている。古い言葉だが、そこに彼女の音楽的な実存が投げかけられているのだと思う。それを象徴的に示しているのが、冒頭に引用した『sprinter』の歌詞だ。
さて、Kalafinaのメンバーは3人いるので、単純な順列組合せでいっても、各自のソロ、Wakana+Keiko、Hikaru+Keiko、Wakana+Hikaruのデュオ、3人の斉唱の7通りのヴァリエーションが可能な訳だが、3人ともに様々な声を持ち合わせており、実際の音色は実に多彩なものとなっている。
ただし、そのような中でもKalafinaというユニットの機軸となっているのはWakanaとKeikoの2声のコーラスである。結成当初からのメンバーであるWakanaとKeikoのコーラスでは、レガートで歌う高音のWakanaと低音のKeikoのハーモニーが最もクラシカルに完成された響きを生み出している。これがKalafinaのベーシックな響きだ。
これに対して、3人の中で最も多彩な声を持ち合わせているHikaruは、いわばトリック・スター的な役割を果たしている。Hikaruの声は、時には魔女、時には童女のようであり、WakanaとKeikoが生み出す調和した響きに擾乱をもたらす。また、搾り出すように発声されたHikaruのシャウトは、情緒ならざる意思のもとに表明された感情であり、靭く能動的な叫びとなって、Kalafinaの音楽空間に金管楽器のような雷鳴を轟かせるのだ。
このような構成を基本線としながらも、Kalafinaの楽曲において、発声者はフレーズ毎に移り変わり、千変万化のコーラスを紡ぎ出す。そこから聞こえてくるのは、通常のPopsやRockではあまり聞くことのできない、まるでバッハの教会カンタータから聞こえてくるような内声の響きとその美しさだ。リードとなる主旋律の裏で重ねられるコーラスの和音は、主たるメロディーと時に溶け合い、時に反発しながらも、渾然としてその内声を響かせるのだ。その点でKalafinaの土台を担っているのは間違いなくKeikoが担当する低音部だ。もちろん、Keikoがソロで歌うドスの効いたメロディーも魅力的なのだが、WakanaやHikaruとのコーラスで低音部を歌うKeikoがもたらす厚みと音程の正確さに由来するハーモニーこそがKalafinaの基盤となっている。
そして、Wakanaの高声はKalafinaの翼だ。少女時代に3人の中で唯一本格的な声楽の訓練を受けていたというWakanaだが、音大を出ている訳ではなく、本格的なクラシックの声楽家に比べると必ずしも安定した発声が出来ているわけではない。しかし、その不安定さが透けて見えるかのようなゆらぎとあやうさが、逆に彼女の歌声の大きな魅力となっている。そして、調子の良いときのWakanaの歌声は「天馬空をゆく」が如しで、正にDevaの歌声といってよい。
この3人のユニットが今の日本に成立しているのは、私には一個の奇跡に等しいようにも思えるが、それはファンとなった者の欲目かもしれませんな。ちなみに、1ヶ月後の10.10.東京国際フォーラム、初めてライブを聞きに参ります。
http://tozainanbokujin.blog.shinobi.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD/kalafina%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E9%99%B6%E9%85%94Kalafina 陶酔の構成
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