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東西南北舎

東西南北舎は東西南北人の活動に伴い生成したテクスト群の集積地である。「東西南北人」は福岡の儒者亀井南溟が秘蔵した細川林谷篆刻の銅印。南溟の死後、息子の亀井昭陽から、原古処、原釆蘋、土屋蕭海、長三洲へと伝わり、三洲の長男、長壽吉の手を経て現在は福岡県朝倉市の秋月郷土館に伝承されたもの。私の東西南北人は勝手な僭称であるが、願わくば、東西南北に憚ることのない庵舎とならんことを祈念してその名を流用させて頂いた。

   
カテゴリー「社会学」の記事一覧
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電通とリクルート 山本直人著(新潮社 2010年12月)

 本書は、電通とリクルートを、広告業界における双頭と位置づけ、この両社が果たしてきた役割を通じて、戦後史を描き出そうとしたもの。但し、戦後史とはいっても、それは実質的にはリクルート登場(1960年)以降の広告史として語られている。なお、著者は1964年生まれの博報堂出身のマーケティング及び人材育成のコンサルタント。
 著者は、まず電通が代表する、マスメディアを媒介とした広告を「発散志向広告」、リクルートが情報誌媒体を通じて培ってきた、インターネットの検索連動広告に直接接続するような広告を「収束志向広告」と規定し、戦後社会において広告情報を発散させる仕組みを築き上げたのが電通で、発散された情報を消費過程に収束させる仕組みを築いていったパイオニアがリクルートだと捉えている。したがって、ネット広告の前史においては、電通とリクルートの関係は相互補完的なものであり、共依存の関係としてうまく機能していたとみている。
 発散志向広告がうまく機能した例として、著者は、1970年の「ディスカバー・ジャパン」(国鉄)や1972年のサントリーのキャンペーン「金曜日はワイン」の成功を挙げている。これらは大量生産・大量消費の高度成長期を象徴する広告だと思うが、著者の考えでは、これらの広告は「(消費主体の中に在る)辞書の書き換えと意味の定着」(p.32)を試みてきたものである。70年代、そのような発散志向広告の担い手として、電通は揺ぎ無い地位を築いていた。著者はこのような電通の在り様を「元栓のうまみ」と表現している。本書ではあまり触れられていないが、東京オリンピックや大阪万博、そして2002年の日韓ワールドカップのようなビッグイベントへの拘泥には、このような元栓を押さえ込もうという電通の戦略の在り様がうかがえる。
 それに対して、リクルートは、新卒者のための求人広告情報を、紙媒体においてカタログ化(データベース化)するところからスタートしている(1962年「企業への招待」、1969年「リクルートブック」)わけだが、その転機は「住宅情報」の創刊によって訪れる。リクルートが「住宅情報」で行ったのは、紙媒体における不動産情報のデータベース化であり、以後、リクルートは、「毛細管の如き営業力」と、独自の「編集力」によって「人生の節目」に関わる様々な分野の情報を独自のフォーマットに落とし込んだ情報誌を立ち上げていくことになる。
 そして80年代が訪れるが、著者は80年代を、選ぶことの自由が大衆化し、そのことによって大衆そのものが消失していく過程として捉えようとしている。そこで、俎上に上がるのは、山崎正和の「柔らかい個人主義の誕生」(1984年)、電通のプロデューサー藤岡和賀夫の「さよなら、大衆」(1984年)、そして、博報堂生活総合研究所による「「分衆」の誕生 ~ ニューピープルをつかむ市場戦略とは」(1985年)という三つの本であるが、本書では、これらは同じように80年代の社会の変化を捉えたもので、「「私」への回帰」(p.122)と「経済的要因による階層の出現」(p.125)として要約されている。著者は、ここに現在の広告における問題の端緒を見て取っている。しかし、この時代は未だインターネット以前の時代であり、分衆化した大衆にリーチする方法論が見出せない時代だった。
 そして約10年後、インターネットが日本でも普及しはじめる。著者は、ここにもう一つの概念軸として、リアリティの三段階論を持ち出している。それはphysical reality、pseudo reality、virtual realityの三段階である(典拠は1989年のインディアナ大学におけるトーマス・シビオクの講演、p.149)。何やらラカンの現実界、想像界、象徴界を思わせる三分法だが、実際に本書で展開されているのは、二番目のpseudo realityのみで、著者はこれを「偽リアリティ」と用語化し、「承認された嘘を描き出す」発散志向広告において特徴的だった、人々の憧憬を煽り立てるリアリティと解している。これはベンヤミン風のアウラと解してもさほど違いはないと思うが、本書は、インターネット以後(そして、それは同時にバブル経済の崩壊以後)このような偽リアリティが広告から急速に消えうせていったとしている。
 本書の結論は、氾濫する情報の海を渡っていくには、「地図と聖書」(p.208~)が必要だが、聖書は個々人の内面に求めていくしかない、という単純なものである。いささか肩透かしの結論であるとともに、後半の議論は、地図も聖書も生煮え状態でうまく料理されているとは言いがたい。
 電通とリクルートという二大企業を軸に広告の変遷を示す視点は、広告の素人にも判りやすく面白いのだが、議論が拡散しがちなのは社会史としても精神史としても不徹底だからだと思う。精神史としてなら、この辺の議論は当今の社会学者あたりの書籍のほうがよほど上手に料理されていると思う。
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「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか 開沼博著(青土社 2011年6月16日)

 先日、福島県相馬郡飯舘村に行く機会を得た。
 ご存知のように、飯舘村は2011年4月22日に計画的避難区域に指定されており、現在、住民の大半は村外に避難しており、村はほぼ無人の状況となっている。
 同地を訪れたのは初めてであったが、一見長閑な里山の間に拡がる田畑が無人の野と化し、秋晴れの陽光の中、恐ろしいほどに静まりかえっていた印象が強い。家々に人の影はなく、放棄された耕作地の至るところにススキやセイタカアワダチソウが繁茂し、秋の風に揺れていた。
 おそらく、家々の佇まいはあれほどの地震を経た割りには従前とさほどの違いはないように思えるのだが、無人であることにより、それは既に廃墟の様相を呈していた。

 本書は、東京大学の大学院生が3.11直前に取りまとめた修士論文であるが、福島の原子力発電所がどのようにしてその地に成立していったかを、丹念に調べ上げ、それが、大東亜戦争敗戦後の日本社会にとって、外部植民地を奪われ「内なるコロナイゼーション」のメカニズムにより発動し、やがて「自動化・自発化」していったという仮説のもとに考察を加えている。
 ここで「原子力ムラ」と呼ばれているものには、原子力発電所が立地してきたムラと、中央における産官学の原子力業界が構成する閉鎖的な社会構成とが掛け合わされており、それを繋ぐメディエーターとして地方行政が機能してきたのではないかと論じられている。
 著者の展開する社会学的議論の当否はさておき、ここで明らかにされている原子力ムラの構成は、この国で生きる限り、誰もが骨絡みの問題として直視せざるを得ない問題ということができる。
飯舘村の現状はその帰結の一つと言わざるを得ないものであるが、結論は何も出ていない。

 そういえば、脱原発論議が高まる中、かつて「反核異論」をものした吉本隆明が、脱原発異論を展開している。吉本の議論は、原子力そのものは人知が勝ち得たプロメテウスの火であり、それを今放棄することは人として生きることを放棄することと同義であるというものである。87歳にして吉本節健在というところではあるが、その議論を現実のものとして立たせるためには、今やこの国から失われてしまったようにみえる思考の強靭さが必要だと思われるがどうだろうか?

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HN:
東西南北人(中島久夫)
性別:
男性
自己紹介:
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island04jp@gmail.com

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