韓国で翻訳出版をやっている友人が、先日初めてパリを訪れ、市内の建物全てが文化財のような街並みに圧倒されたようで、このヨーロッパの富はどこからやってきたのか?と感心しきりであった。
私が最後にパリを訪れたのは、もう15年以上も前になるが、確かに、パリのみならず、西欧の街並みには、物質による直接的な豊かさもさることながら、その表層から内奥を貫いて重畳する文化的な厚みは圧倒的なものであり、その厚みと調和が生み出す優美さには、都市に累積する時間の堆積(歴史)以上に、「われわれ」との異質さを感じさせないではいられないものを意識させられた記憶がある。それは、いってみれば、ある種の絶望(劣等感)を感じさせるものだ。
この「われわれ」をアジア(東洋)として名指すのは容易なことだが、その名指しに埋没することは、何事かを見失せてしまうようにも思える。
たとえば、ヘーゲルの『歴史哲学』や『法哲学』、マルクスの『資本論』、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』等の著作に代表されるような西欧の社会科学の枢要な部分は、おそらくはこれらの富の源泉を問題とする問の周辺から発生してきたものということができるし、ブローデルやウォーラーステイン、A.G.フランク、そして柄谷行人らの思考は、その問いを問い続けているのだと思う。
直接的な富の移動ということでは、これはアフリカやアジア等の植民地からの収奪ということで間違いではないだろうが、それがどのようにして起こったのか、起こりえたのか、ということは決して簡単な話ではない。
たとえばマルクスは、それを生産様式の変遷において捉えようとして、エンゲルスがそれを史的唯物論という形に編成したのだが、それは今日機能不全に陥っている。
これに対して、柄谷行人は交換様式論という議論を展開し、交換様式には基本的に4つの類型があると規定している。
A:互酬(贈与と返礼)
B:略取と再配分(支配と保護)
C:商品交換(貨幣と商品)
D:X
交換様式DのXは交換様式Aの高次元での回復、或いは抑圧されたものの回帰(フロイト)として説明されているが、柄谷は、これらの交換様式は常に既に並存してきたのであり、これらの交換様式のうち、どの様式が支配的(ドミナント)であるかによってその時代の社会構成体の形態が決定されることになる、と論じている。
そして、近代以降の社会「世界=経済」は、基本的に交換様式C=商品交換(貨幣と商品)が支配的な社会となっており、それによって富の蓄積=収奪がなされたとみている。
柄谷は、この近代社会というステージをブローデルにならって「世界=経済」と呼んでいるが、さらにそこに地政学的な位置関係の力学を導入していく。
++先述したように、世界=帝国においては、中核(core)、周辺(margin)、亜周辺(sub-margin)、圏外という構造があった。しかし、世界=経済が世界を覆った状態では、世界=帝国はもはや中核として存在できない。したがって、その周辺・亜周辺も存在できなくなる。一方、世界=経済においても、中心と周辺という地政学的構造がある。それを最初に、“メトロポリス”と“サテライト”というタームで指摘したのが、アンドレ・グンダー・フランクであった。彼の考えでは、世界=経済は、中心部が周辺部から余剰を収奪する仕組みになっている。そのため、周辺部は中心部の発展に応じて、低開発(under-develop)される。周辺部はもともと未開発だったのではなくて、中心と関係することで、低開発された、というのである。これに対してウォーラーステインは半周辺という概念を加えた。「半周辺」は中心部に移動することがあり、また周辺部に転落することがありうる。こうして、世界=経済は、中心(core)、半周辺(semi-periphery)、周辺(periphery)という構造となる。
これはウィットフォーゲルが示した世界=帝国の構造、すなわち、中核、亜周辺、周辺と類似している。だが、世界=帝国と世界=経済の構造には決定的な違いがある。世界=帝国では、中心部が暴力的な強制によって周辺部から余剰を収奪するのだが、周辺部に行けば行くほどそれが困難になる。帝国の版図を拡大するためには、逆に、中心部の余剰を周辺にまわさなければならない。たとえば、中国の朝貢外交も、いわば互酬的な交換であり、その場合、朝貢に対する皇帝からのリターンのほうが大きい。そのような贈与によって、皇帝は威信を保持し、支配領域を広げたのである。
ところが、世界=経済では、直接的な収奪よりもむしろ、たんなる商品交換を通して中心部が周辺部から余剰を収奪する構造がある。また、世界=帝国では、周辺部が原料を加工した生産物を中心部に送るのに対して、世界=経済では、周辺部が原料を提供し、中心部でそれを加工・製造する仕組みになっている。このような国際分業においては、加工・製造部門のほうが価値生産的である。そのため、中心部は、周辺部を国際分業に組み込むことによって、剰余価値を獲得することができる。(柄谷行人『世界史の構造』岩波書店、2010年6月、241~243ページ)
柄谷の議論に即していうのであれば、いわば、西欧(+アメリカ)は世界=経済のシステムにおいて中心としてあり続けたため、その富を収奪しえたのだ、ということができる。もちろん、これはある意味では非常に乱暴な議論ではあるが、「世界=経済」という社会システムのもとで富が収奪されていく構造を示す指摘としては、大筋で的確なものだと思う。
柄谷は、その後も『哲学の起源』や『帝国の構造』等の著作で、この地政学的構造論を変奏して、近代社会のフレームとして強固な「資本=ネーション=国家」を揚棄すべき道筋を探っている。それは平たく言えば、「交換様式Dは、どのようにして可能となるのか?」という問題の追及として続行されているということができるだろう。
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