本書の過半は平泉澄(ひらいずみきよし)という歴史家に割かれている。
平泉は、戦間期から戦時中にかけて活動した歴史学者で、東大文学部の教授という席に収まりながら皇国史観の総本山と仰がれた人である。帝国陸軍との関係はかなり密接なものだったようで、二二六事件にも一枚かんでいたらしく、平泉の私塾である青々塾には学生とともに陸軍の過激派将校も出入りしていたらしい。また、1945年1月という既に敗色濃厚な時分に、かねてより親しかった陸軍大臣阿南惟幾に米本土爆撃を大真面目に進言したりしていたそうだが、8月、敗戦が確実とみるや掌を返すように和平派に靡き、それまで平泉を尊崇していた陸軍の過激派からも失望の目で見られるようになり、戦後は全ての公職を退き故郷の福井県に逼塞している。
平泉の専門は日本中世史だが、その学風は史観とは裏腹に(というのが正に先入観というものだが)実証的なものであり、網野善彦に先駆けるような日本中世のアジール論という優れた研究成果を残しているそうである。
その代表作が「中世に於ける社寺と社会との関係」(1922年)という著作になるのだが、本書に拠ると、その第二章(社寺勢力の根柢)は、後に黒田俊雄が展開する「権門体制論」の祖型となる、中世の権力構造は、公家・武家・社寺の鼎立状態にあるという黒田の主張のエッセンスを既に述べているが、黒田の方はあえてそれを無視して恰も自分が初めて唱えた説であるかのように書いているらしい。
続く第三章(社会組織)がアジール論となる部分である。平泉はまず、アジールは、世界的かつ人類的な事象であり、文化人類学的な問題であると唱え、まずは西欧におけるアジール研究を紹介し、そこではアジールは「人のアジール」「所のアジール」「時のアジール」という三つの形態に分類されているとする。これに対して平泉のアジール論の特色は、古代以前に「自然人のアジール」という形態があったという主張にあり、自然人のアジールでは、王や首長の身体そのものがアジールとなり、それは、古代・中世の「人のアジール」とは異なる形態であるとしている点にある。
そこから平泉は、日本におけるアジールを論じていくのだが、本書では平泉のアジール論を以下のようにまとめている。
++まず古代の対馬のアジールというのは朝鮮の「ソト」と同じで、自然人のアジールである。中世の寺入りはローマのキリスト教会と同じ性格のもので、政府の統括力に反比例して興る寺社のアジールである。これが戦国期にひじょうに大きくなった。要するに寺社というのは治外法権をもっており、社会に特殊の地位を占めている。(63~64頁)
網野が「無縁・公界・楽」で平泉の研究を取り上げて以降、平泉のアジール論の評価が高まるに連れて、平泉の変節説というのが喧伝されるようになる。平泉は1930年、期間1年半程のヨーロッパ遊学に出ているのだが、平泉の皇国史観というのは、この留学を機に一種の回心が起こって獲得されたものであり、初期の平泉は大正デモクラシーの洗礼を受けたリベラルな研究者だったのではないか、という説である。
本書の中心的な論点は、この平泉の変節という論説は論拠のない空論であることを明らかにする点にあり、それは平泉の全著作を丹念に読むことで、完膚なきまでに粉砕されている。平泉はそのはじめから徹底した皇国史観の持ち主であり、その実証的で優れた歴史研究はその皇国史観の持ち主によって成された、という訳である。
本書の著者の今谷明は、京都生まれで京大の史学を出て、数年の官僚経験を経て研究者に転じ、現在は帝京大学の教授である。若い頃に網野善彦の謦咳にも接していたそうである。
本書の残りの部分は、そのような著者からみた戦後の歴史家列伝となっている。取り上げられている歴史学者は原勝郎、喜田貞吉、本庄栄治郎、林屋辰三郎、福田徳三、三浦周行、石母田正、そして網野善彦である。
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