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東西南北舎

東西南北舎は東西南北人の活動に伴い生成したテクスト群の集積地である。「東西南北人」は福岡の儒者亀井南溟が秘蔵した細川林谷篆刻の銅印。南溟の死後、息子の亀井昭陽から、原古処、原釆蘋、土屋蕭海、長三洲へと伝わり、三洲の長男、長壽吉の手を経て現在は福岡県朝倉市の秋月郷土館に伝承されたもの。私の東西南北人は勝手な僭称であるが、願わくば、東西南北に憚ることのない庵舎とならんことを祈念してその名を流用させて頂いた。

   

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色川大吉「明治の文化」② 精神構造としての天皇制


 「明治の文化-Ⅷ 精神構造としての天皇制」は、歴史家色川大吉による天皇制論である。色川は、明治期を通じて形成された近代天皇制、大日本帝国憲法として成文化した天皇制は、政治、経済、教育を通じて発動する幻想のメカニズムとして、イデオロギーの水準を越えて明治の民衆の精神を拘束する制度として完成をみたと考えており、ひとまず、そのメカニズムに「内縛」という言葉を差し当てている。

++天皇制は精神構造としては不可視の巨大な暗箱である。日本人は知識人も大衆も、その四隅の見えない暗箱にいつのまにか入りこんで、なぜ自分たちがこれほどまでに苦しまなければならないのかを知ることもできず、詠嘆しつつ死んでいった。そうした幻想の状況、しかも、そうした全状況の対象化をゆるさない内縛の論理が、大衆の側にあることの方が恐怖なのである。大衆を駆りたて、朝鮮人や中国人を虐殺させた天皇制も怖ろしいが、おなじ日本人同士を抹殺しあわせた根深い虚無を、私たちは須長漣造や井上伝蔵の葬られ方のなかに重く見るのである。(265頁)

 このような「内縛の論理」に、フーコーが提示した規律訓練型の権力メカニズムとの類似性を指摘することは容易だが、それを直ちに相同なものと見なす訳にはいかない。
 色川は、この視点に立ち、まずはこの国における「国体」観念の変遷を素描していく。「国体」観念の淵源は遠く「古事記」「日本書紀」まで遡れるものだが、それは以後「神皇正統記」「中朝事実」「大日本史」「皇朝史略」「日本外史」というこの国の史書において、その都度歴史的な正当性論と結合することで歴史変革の一源泉をなしてきた。江戸期において、それらは山崎闇斎や山鹿素行らの儒教国体論や、本居宣長、平田篤胤らの国学的国体論を生み、それらの諸派は、やがて幕末の尊皇攘夷思想の奔流となり、時代を大きく旋回させることになる。色川は、この一千年の「反省的意識(膨大量の歴史情報)」(268頁)の堆積の中に「国体」観念の思想的伝統を認めるとともに、それに新たな「開明の精神」、五箇条御誓文に示された「旧来ノ陋習を破リ天地ノ公道ニ基ク可シ」や「知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」等によって新たな価値が付加され、「四民平等」、「一君万民」の原理として新たな「国体」観念を切り結ぶことになる、とみている。

++このときいらい、天皇制は「国体」の本義による政治的・軍事的な権力の中央集中と、他方で「公議輿論」の尊重とか「立憲制」への指向というイデオロギーを用いはじめる。(中略)廃藩置県、学制制定、徴兵令、地租改正と、明治初年の大改革が進行するにつれ、絶対主義と近代的機能主義とを包摂していった天皇制は、その内部において自由民権運動の抵抗を排しながらも、一路理念的な完成をめざして幻想領域を拡大していった。そして、その許容範囲は、ついに福沢諭吉の合理主義、加藤弘之、井上哲次郎らの社会ダーヴィニズムから頭山満、樽井藤吉、内田良平らのアジア主義にまで及んだのである。(269~270頁)

 色川は、そのような明治天皇制におけるイデオロギー的国体論の一応の完成を、元田永孚らの儒教主義と、井上毅らの明治的立憲主義が折衷抱合されている「教育勅語」(明治23年)に見出しているが、その中枢たる天皇存在の絶対性は、最初から民衆の意識に備わっていたものではなく、明治期を通じて形成されていったものとみている。
 明治初年、天皇の存在を絶対視していたのは、一部の武士や草莽に過ぎなかった。それは天皇の側近たる維新政府の高官も例外ではなく、その典型例として大久保利通の「非義の勅命は勅命にあらず」という言が引かれている。「神皇正統記」以来、「王道」にこそ権威の源があり、天皇の権威も天皇個人に固有のものではなく、天下万人の同意にあるという思想は、いわば伝統的な正論なのだが、そこに天皇親政の復古論が糾合されることで、明治における「国体」観念における正当性観念の相剋が生じることになる。色川はそれを「天下ハ一人ノ天下ナリ」と「天下ハ天下ノ天下ナリ」との矛盾の内包として捉えている。そして、その矛盾は、地方の豪農・富農層を階層的な運動母体として活動していた自由民権派の思考の中にも刻印されていることが示される。そこに民権家たちの「政治的レアリズム」が読まれると同時に「歴史の成熟の度合」の低さがみられている。
 行論は、ここから丸山真男の「国体」論の検討に向かう。丸山真男の方法論は「日本の思想」(初出は1957年、岩波新書1961年)という有名な論文に集約されているとして、次のように示されている。

++丸山氏は近代天皇制の思想的性格として、臣民の無限責任と体制としての無責任性、精神の雑居状況と「国体」を機軸とする無限抱擁的性格を指摘する。そして、その根源を日本社会の構造からさかのぼって、国学の思惟様式や、さらにその原型としての固有信仰の発想にまで求めるのである。丸山氏がこうして日本の思想をトータルにとらえようとするときの眼は、マックス・ウエーバーが西欧市民社会の精神秩序やエートスを軸としてアジアの思想性格をとらえようとしたときの眼に似ている。鋭いが脱亜的である。かれは、日本には真の意味で思想が伝統として蓄積されることがなかった、という。(279頁)

++そこで丸山氏は、これを無構造の「伝統」とよび、これを古来、キリスト教の絶対神に象徴されるような思想の整序原理=精神的機軸をもたなかったが故の日本人の精神生活にみられる体質だとしてしまう。(280頁)

++(以下は丸山真男「日本の思想」)小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接には歴史的発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが、すくなくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある核心をついている。新たなもの、本来異質的なのまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍におしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。(280頁、丸山真男「日本の思想」岩波新書では11~12頁)

 丸山真男によるこのような日本思想の要約とその思想継起の仕方について、それは明治以降の知識人には概ね妥当するものだが、「日本人一般」や「大衆」へと敷衍して妥当するものといえるか?というのが、まず歴史家色川大吉が投げかける疑問である。そして、その問いに対する彼の答えは「否」である。色川は「無限抱擁」的性格が日本人一般にあったことも否定はできないが、伝統的実感信仰に固執した民衆と、「ひょうひょうとした思想放浪の道をたどったインテリ」(283頁)の間には本質的な差異があるとして、それを捨象しようとしてかかる丸山の構えは誤りであると述べている。だが、本書のこの段階では、その差異を明確に指し示すことはできていない。色川の論点はそこから丸山政治学の近代主義批判へと転じていく。丸山の歴史認識は「近代的規矩を過去の歴史的伝統の評価のメルクマールとして暗黙のうちに前提」としているというように。
 丸山真男は、「日本の思想」で明治21年6月18日の枢密院第一回憲法制定会議における議長伊藤博文の演説を「近代日本の機軸としての「国体」の創出」(287頁、丸山真男「日本の思想」岩波新書では28頁)として論じているが、伊藤が丸山のいうような意味での「内面的機軸」や「伝統」等の意味を承知しており、丸山がいうように「新しい国家体制には、「将来如何の事変に遭遇するも・・・・・上元首の位を保ち、決して主権の民衆に移らざる」(「明22・2・15、全国府県会議長に対する説示」、『伊藤博文伝』中巻、656頁)ための政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年にわたる「機軸」をなして来たキリスト教の精神的代用品をも兼ねるという巨大な使命が託されたわけである」(丸山真男「日本の思想」岩波新書30頁)とするのであれば、伊藤博文という政治家は世界にも類をみない天才政治家であると評価せざるを得ないが、歴史家からみた場合、このような伊藤博文像は、丸山真男の近代主義が捏造した「蜃気楼」に過ぎないと断じている。
 だが、それにもかかわらず丸山真男の「国体」論は、そこから鋭利な切れ味を発揮してみせる。
 第一に、丸山は「国体」を「非宗教的宗教」と呼び、その「国体」という観念がどれほど恐るべき魔術的な力をふるったかの例を「虎ノ門事件」における臣民の無限責任の連鎖「茫として果てしない責任の負い方」(丸山真男「日本の思想」岩波新書32頁)に見出し、当時東大にあった外国人教師の眼を通して語らしめている。
 第二に、臣民に対してそれほど無限の責任を要請する「国体」は、その一方で平時には、無構造の前提としての「固有信仰」以来の無限定な抱擁性を継承している。「いかなる学説によっても国体をイデオロギー的に限定し、相対化することは慎重に避けたため、国体は厚い雲層に幾重にも包まれて容易にその核心をあらわさない」(291頁)。色川はここに竹内好の天皇制論「国体という神秘な、それに立ち向う精神の力を不思議になえさせる巨大な圧力をもつ超越存在」を接続してみせる。
 第三に、「国体」の無限抱擁性がしからしめる国民の内部世界にいたる拘束性(丸山はそれを「精神的機軸」と呼ぶ)であり、それはヒットラーが羨望したほどの「イデオロギー的同質化」作用の条件とされている。
 第四に、このような「国体」を支える最終細胞を部落共同体にみていること。そこでは、全ての対立的契機が溶融され、個人の析出をはばみ、「固有信仰」的思想を再生し、天皇制護持の源泉となっている。
 色川は、丸山真男の「日本の思想」における「国体」論をこのように要約し、第一及び第二の観点については全面的に同意するが、「その構造を成り立たしめている」第三及び第四の観点には、次に示す理由から同意できないとしている。

++「国体」がたんに外的制度ではなく、無限に民衆の内面的世界に入り込み、精神的機軸になったというのはほんとうか。私にはそうなったとは思えない。それは伊藤博文ら支配者たちが永久の努力目標として、民衆の心をつかみ切ろうとしたことをいうのであって、それは最後まで不安感を拭いえないものであった。(中略)民衆の側からいえば、かなりの深みまで「国体」の擬制を受けいれながら、最後の一点で天皇制に魂を渡さなかった。いちばんの深部で、天皇制は日本人の心をとらえ切れていない、「国体」は真の意味で、民衆の精神的機軸にはならなかった、そう私は考える。(292~293頁)

 色川は、この点について「それを詳しく論証することはむずかしい」としながらも、それぞれ「共同体論」と「家族国家論」という丸山が提示した観点において、それを否定することを試みる。
 まず「共同体論」だが、丸山が提示する「共同体概念」は、「寄生地主制が確立して、農村にはまったく活気が失われた明治末から大正、昭和初年にかけての“停滞期の部落共同体”のイメージ」(293頁)、つまり本書「明治の文化」の「Ⅶ 非文化的状況と知識人」で描出された停滞期の静態的モデルのみに依拠したものであり、歴史的にみて一面的な抽象に過ぎないと批判している。色川自身は「日本の部落共同体」の変遷を明治維新から自由民権期にかけての「形成期=変革期」、天皇制や寄生地主制の支配が確立した「停滞期」と敗戦以後の「解体期=変貌期」に区分しているが、丸山の共同体評価は、この停滞期のモデルに、西欧市民社会の優性な理念型から抽出したモデルを比較しているという訳である。
 次に、「家族国家論」についてだが、ここでは吉本隆明が「共同幻想論」で切り開いた知見が援用され、家族は「対幻想」を基底とする共同性であり、家族-村落共同体-国家の共同性はそれぞれ異なった位相にあるとみられている。そして、共同性が異なる位相に移行される場合は、必ず擬制的に行われるのであり、「幾段階もの複雑なイデオロギー的媒介や飛躍が必須のものとなってくる」(304頁)と規定している。そして、丸山はその操作を、縄文以来の固有信仰にまで遡り、「日本人固有の思惟様式」なる概念を動員し、それを媒介に付することでその移行を説明しようとしているが、色川は、その操作がうまくいっているとは思えないと述べている。しかしこれ以降、本書における丸山批判は半ばで腰砕けの状態となってしまっている。
 おそらく色川が企図していたのは、歴史事実を踏まえた内在的な天皇制批判であり、丸山真男の天皇制批判は外在的なものに留まっており、「精神構造としての天皇制」の最深部まで批判の刃が届いていない、ということをいいたかったのではないかと思うが、議論が輻輳し丸山真男の「家族国家論」批判は宙に浮いてしまう形になっている。
 だが、「家族国家」という観念は、明治期に成立した近代天皇制が自らのあるべき姿として思い描いたものであり、大日本帝国が曲がりなりにもあの総力戦へと「大衆」をも含む「国民」の意志を収奪し得たのは、天皇制という体制において、この「家」と「国」との接合が擬制的に成立していたからであろう。そして色川は、日露戦争後の1910年(明治43年)頃に作成された国定の小学校教科書や「尋常小学国語読本」の記述に、そのような「家」と「国」との擬制的接合を成し遂げた近代天皇制の一応の完成をみている。色川は、その接合手段として天皇制が体系的にとった方法は、以下の四点に集約できると論じている。

① 明治天皇を国家統一のシンボル的ヒーローに仕立て上げる操作
② 国家神道を通じた祖先崇拝の動員
③ 危機意識の扇動(民族ナショナリズムの高揚)及びその手段としての戦争
④ 国家教育による馴致~国定教科書の洗練と完成

 色川は、本章の後半部をこれらの実例を挙げた分析に割いており、各論は各論として、なかなかに興味深い内容なのだが、これに立ち入っているとまだまだ長くなってしまうので、ひとまずここで了としておきたい。
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