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東西南北舎

東西南北舎は東西南北人の活動に伴い生成したテクスト群の集積地である。「東西南北人」は福岡の儒者亀井南溟が秘蔵した細川林谷篆刻の銅印。南溟の死後、息子の亀井昭陽から、原古処、原釆蘋、土屋蕭海、長三洲へと伝わり、三洲の長男、長壽吉の手を経て現在は福岡県朝倉市の秋月郷土館に伝承されたもの。私の東西南北人は勝手な僭称であるが、願わくば、東西南北に憚ることのない庵舎とならんことを祈念してその名を流用させて頂いた。

   
カテゴリー「哲学・思想・文学」の記事一覧

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原発と原爆---「核」の戦後精神史 川村湊著(河出書房新社 2011年8月2日)

 3.11を画期として書かれた原発と原爆をめぐる川村湊の文芸評論である。
 俎上にのぼる作品は、ゴジラとアトム、ナウシカとAKIRA、黒澤映画、はだしのゲン等、以下の作品が取り上げられている。

小説・まんが・評論・ルポルタージュ等:丸木位里・赤松俊子「ピカドン」、井伏鱒二「黒い雨」、正田篠枝「ざんげ」、現代詩人会編「「死の灰詩集」、広島市原爆体験記刊行会編「原爆体験記」、香山滋「怪獣ゴジラ」、手塚治「鉄腕アトム」、中沢啓治「はだしのゲン」、松本清張「神と野獣の日」、永井隆「長崎の鐘」「この子を残して」、宮崎駿「風の谷のナウシカ」、水上勉「故郷」、井上光晴「西海原子力発電所」、高嶋哲夫「原発クライシス」、高村薫「神の火」、東野圭吾「天空の蜂」、たつみや章「夜の神話」、広瀬隆「東京に原発を!」、吉本隆明「「反核」異論」、堀江邦夫「原発ジプシー」、森江信「原子炉被曝日記」、長井彬「原子炉の蟹」、高木仁三郎「プルトニウムの恐怖」、生田直親「原発・日本絶滅」、大友克弘「AKIRA」

映画:黒澤明「生きものの記録」「八月の狂詩曲」「夢」、本多猪四郎「ゴジラ」「空の大怪獣ラドン」「地球防衛軍」「大怪獣バラン」「マタンゴ」「美女と液体人間」「宇宙大怪獣ドゴラ」「ガス人間第一号」「フランケンシュタイン対地底怪獣」、小田基義「ゴジラの逆襲」「透明人間」、坂野義光「ゴジラ対ヘドラ」、松林宗恵「世界大戦争」、白土武「黒い雨にうたれて」、深作欣二「仁義なき戦い」、吉村公三郎「その夜は忘れない」、宮崎駿「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」、大友克弘「AKIRA」、橋本幸治「ゴジラ」、大河原孝夫「ゴジラVSデストロイア」、池田敏春「人魚伝説」、森崎東「生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」、山川元「東京原発」

 著者は3.11直後に、怒りにまかせて書いたという「福島原発人災記」なる著書を上梓しており、本書は、その怒りを自らの内側にぶつけるように書いたという。
 本書の基本的な構えは、戦後の日本文化が何よりも核に対する被爆/被曝被害において、世界に流通してきたのだ、というものであり、その視点を通して戦後の様々な作品群を再点検しようとした試みである。
 非常に誠実な試みであるし、短期間(著者は本書をほぼ1ヶ月で書き上げてしまったらしい)でまとめた割にはよく書かれていると思うが、ゴジラとアトムに拘泥するのは、やはり全共闘世代の特性なのか、加藤典洋も「3.11死に神に突き飛ばされる」で似たようなフレームで論じていた。
 尤も、本書は10年ほど前、法政大学の「異文化」に発表された「文化を研究するとはどういうことか-「原爆」はどのように語られてきたか」を下敷きにしているようで、そういえば、読んでいる際にどことなく読んだことがあるようなデジャヴを感じる部分があった。

 10年前、確かボアソナードタワーと法政の国際文化学部のこけらおとしで、柄谷行人とベネディクト・アンダーソンの対談をメインに据えたイベントがあり、私も友人等とそれを聴講した覚えがある。その時頂戴したのが、その「異文化」の1号で、確かに、件の論文が巻等に掲載されている。
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未踏の野を過ぎて 渡辺京二著(弦書房 2011年11月8日)

 渡辺京二の近年の世相論を集めた評論集である。
 タイトルとなっている「未踏の野を過ぎて」は2001年に熊本日々新聞に連載されたもの。
 巻等に「無常こそわが友」という短いエッセイが掲げられている。東日本大震災に対するメディアの大騒ぎをを揶揄する文章となっている。
 此度の震災が未曾有の大災害だというが、東北の津波被害は明治時代にもあったし、関東大震災では帝都が灰燼に帰している。大東亜戦争では、100万人以上の日本人が死んでいるし、おまけに広島、長崎には原爆まで落されている。それでも、誰も日本はもうダメだなどとは言わなかったのではないか、と。メディアはパニックを起こしており、それは災害に見舞われていない人のパニックだと指摘している。
 だが、この国の人々は、人の生の実相が常にそのような無常と隣り合わせにあることを何時忘れてしまったのか、と。

++われわれは戦争と革命の二十世紀を通じて、何度人工の大津波を経験してきたことか。アウシュヴィッツ然り、ヒロシマ・ナガサキ然り、収容所列島然り、ポルポトの文化革命然り。私は戦火と迫害に追われて、わずかにコップとスプーンを懐に流浪するのが、自分の運命であるのを忘れたことはない。実際には安穏な暮らしを続けながら、夢の底でもそれを忘れたことはない。日本人、いや人類の生きかた在りかたを変えねばならぬのは、昨日今日始まった話ではないのだ。原発が人間によって制御不可能な技術であることも、経済成長と過剰消費にどっぷり浸った生活が永続きしないのも、四〇年五〇年前からわかっていた話だ。(11~12頁)

 その通りだと思うが、この爺様の言葉として読むとやはり重みが違う。どこの編集者でも構わないから、この人と吉本隆明とが二人とも矍鑠としているうちに、対談させてみてはくれないだろうか。

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一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル 東浩紀著(講談社2011年11月22日)

 ここ最近、フクシマの被災地を回っている。
 これまで、飯館村、相馬市、伊達市、いわき市、郡山市と回ってきた。
 そんな合間に、関曠野の「フクシマ以後 エネルギー・通貨・主権」や加藤典洋の「3.11―死に神に突き飛ばされる」等を読んできた。
 それぞれに興味深い議論が展開されており、特に加藤が書き下ろしている「祈念と国策」は力作で、説得される部分も多いのだが、そこから新しいヴィジョンが見えてくるような議論ではない。
 そういう意味では、この東の議論は、新しい夢を具現しており、なかなかに得がたい達成を示していると思う。
 本書は、1997年の「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」から、「動物化するポストモダン」、「情報自由論」と重ねられてきた東浩紀の情報社会論のひとつの到達点であり、未来への希望が込められたエッセイ(試み)である。
 一般意志とは、ルソーが社会契約論で提起している主権を担う意志を概念化したもので、諸個人の特殊(個別)意志の総和である全体意志とは明確に区別されるものであり、常に正しく、公の利益を目指すものと規定されている。
 これは抽象的な議論であるが、東はこれに続くルソーの次の規定に着目する。

++しかし、これらの〔全体意志を構成する〕特殊意志から、相殺しあうプラスとマイナスを取り除くと、差異の和が残るが、それが一般意志なのである。(43頁、ルソー「社会契約論」第二編第三章、岩波文庫では47頁)

 東は、このルソーの規定について「重要なのは、たとえその表現が感覚的なものにすぎなかったとしても、ルソーが一般意志を数理的に算出可能なものだと信じていたという、その事実である。」と示唆し、このルソーの一般意志を次のように規定してみせる。

++一般意志は数学的存在である。それは人間の秩序ではなくモノの秩序に属する。それは無数の自由な個人が集まり、たがいに監視し、たがいに暴力を振るいあう不安定なコミュニケーションの外側に存在する。だからそれは、民主主義という言葉で人々が思い浮かべるような、「有権者が議論を深めて作り出す合意」といったイメージからは遠く離れている。(80頁)

 東は、ここを基点に、本書でひとつの夢を語っている。その夢の基底こそが一般意志2.0として名指されるものであり、ひとまず東はそれを総記録社会化しつつある「情報環境に刻まれた行為と欲望の履歴を意味する」(100頁)ものとして語っている。それはまた、「動物化するポストモダン」で展開されたデータベースの延長線上にあるものであり、無意識を可視化する装置でもある。
 東が夢として語ってみせるのは、そのような一般意志2.0をを基底に据え、活用することにより、政治や統治、社会や国家の在り方をラディカルに変えてしまう可能性である。
 本書はそのための方法叙説とでもいうべきものとなっている。 ただし、本書は今回の震災直前に連載を終え、その後若干の加筆は行われているものの、基本的には連載時の構成を留めた形で出版されている。著者が全面改稿し得なかったのは、本書が震災前という時空に呼応した夢を語っているからで、今はもっと別の語るべき日本論がある、という弁明が序文に記されている。
 確かに東は、自身が主催する「思想地図β」の第2号では、震災の特集を組み、ある種の日本回帰といった転回を示している。
 その是非について判断することは今は差し控えたいが、本書の出版により、東はここで提示した夢に対して大いなる責任を担うことになるはずである。



 福島県相馬市 2011年11月25日 東西南北人撮影

 福島県相馬市 2011年11月25日 東西南北人撮影

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女子学生、渡辺京二に会いに行く 渡辺 京二×津田塾大学三砂ちづるゼミ著(亜紀書房 2011年9月24日)

 渡辺京二「逝きし世の面影」に感動した津田塾の「多文化・国際協力コース 国際ウェルネスユニット」三砂ちずるゼミの女子大生と渡辺京二の2日間のセッションの記録である。
 具体的には、女子学生6人に卒論の梗概を語らせ、また、3人のゼミ卒業生に現況を語らせ、それをネタに御齢80歳の渡辺京二がいいたいことを言うという、ただそれだけの本である。いわば津田塾の女子大生が渡辺京二に説教のネタを提供し、そのネタを渡辺京二がうまそうに味わいながら、たんたんと説教する本である。

 しかし、今こういう言葉を吐かせて渡辺京二の右に出る爺様は、そうは他にいないことも事実で、一読巻を置くこと能わず、天神の本屋で購入して読み始めたら、九州からの出張帰りで一気に読んでしまった。
 セッションの終わりに、渡辺京二は「無名に埋没せよ」と題する説教をかましてくれるが、これがまた良い。

 そこで渡辺は、一種の「観念的倒錯」を戒めているのだが、例えば、若かりし笠井潔が「テロルの現象学」で必死に乗り越えようとしたアポリアと同型の問題を、今どきのマジメな女子大生にしっかりと等身大の問題として認識させ、なおかつそこから解き放つ道を平明な言葉で指し示してしまうという、奇跡のような説教を行なってみせる。
 恐るべき爺様である。

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ゼロ年代の想像力 宇野常寛著(早川書房 2011年9月9日)

 文庫化を機に、遅ればせながら読了。
 ひとことで評するなら、よくできた2000年代の文化状況論であるが、状況論が限りなく不可能化してしまったこの状況を、よくもまあ無理矢理ながらも状況論として一本筋の通ったものにしているところはなかなかの力業である。

 ただし、ここで「想像力」として論じられているのは「物語」の想像力(構想力)であるが、それらは全てプロット(筋)の集積物としての物語に還元されて論じられている。したがって、論評される想像力の実践主体は、いずれのコンテンツについても物語作者としての(シナリオ)ライターである。つまり、本書の想像力論とは、大塚英志、宮台真司、大澤真幸、東浩紀等を経由した吉本隆明の「イメージ論」に連接可能な議論である。

 TVドラマ、アニメ、映画、美少女ゲーム、各種「文学」と、凡そコンテンツ足りうるものは全て論評の対象にされている観があるが、構図は単純である。
 本書でも、かつて、大澤真幸が虚構の時代の果てとして立言した、神戸の震災とオウム真理教事件と新世紀エヴァンゲリオン(TVシリーズ)が放映された95年が、時代のターニングポイントとして捉えられ、そこを画期として、セカイ系(レイプ・ファンタジー)、サヴァイヴ系(決断主義者のバトルロワイヤル)に分類可能なコンテンツ群が簇生し、様々な物語が自動運動を繰り広げているというのが、荒っぽくいうなら本書の結構である。

 その一方、本書があからさまな仮想敵としているのは東浩紀の「動物化するポストモダン」であり、「ゲーム的リアリズムの誕生」であるが、そこで選択されている戦略が、東が忌避する、データベース消費構造へのセクシャリティの導入という斎藤環的な身振りである。しかし、この所作は思わぬものを引き寄せている。

 その問題はここで取り上げられている「想像力」において「肥大する母性のデストピア」として問題設定され、さらに浅羽通明の影響下にある山形浩生や稲葉振一郎を素材とした新教養主義における成熟の可能性が問われるに至っている。これはほとんど江藤淳の問題構成ではないか。

 最後に、文庫版では3.11以後のインタビューが掲載されており、来年にはこの「母性のデストピア」をタイトルとする著作の刊行を予定していることが告げられている。江藤淳からの距離については、その新刊に目を通してから判断してみたい。

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東西南北人(中島久夫)
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