世界的な金融システムの破綻から、国民国家としての政体が崩壊し、内乱状態に陥った近未来の日本という設定で描かれた小説。発表は2004年と8年前の作品である。本編には続編となる「〈応化戦争記〉シリーズ」として以下が存在するようだが、私は未読である。
愚者と愚者 上 野蛮な飢えた神々の叛乱(角川書店 2006年9月)
愚者と愚者 下 ジェンダー・ファッカー・シスターズ(角川書店 2006年9月)
覇者と覇者 歓喜、慚愧、紙吹雪(角川書店 2008年10月)
本編は上下巻で合計700頁ほどの大冊だが、内容的にも上下巻に対応した二部構成となっている。
上巻で描かれるのは、茨城県北部から福島県いわき市にかけた常盤エリアを舞台した内乱とそこで成長していく孤児たちの物語であり(「孤児部隊の世界永久戦争」)、内乱で大量発生した孤児たちが様々な辛酸を舐めながら力を掴み、悲惨な現実のなかで成長する様子が描かれている。
下巻では、ところを現在の多摩ニュータウンがスラム化した九竜シティに移し、そこに侵攻した孤児たちの部隊を構成員とする常陸軍(ヒタチグン)部隊と首都東京を拠点とする政府軍部隊との衝突を背景に、九竜シティに跋扈する民族マフィアやナショナリスト集団、そして上巻にも登場した月田桜子、椿子の双子の孤児姉妹を首領とした女性のみのマフィアパンプキン・ガールズと、東京を根城とする日本最大のマフィア集団、東京UF等との抗争劇となっている(「邪悪な許しがたい異端の」)。
さて、感想であるが、正直なところ近未来小説としてはあまり買えない展開である。世界的な経済システムと国民国家システムが同時に崩壊し、世界中が内戦状態に陥るという設定は、現時点においてはリアリティに乏しい。ここで作者が故意に無視しているのが、戦争の経済性という問題であり、この小説で行われているようなドラスティックなまでに場当たり的な戦火と暴力の拡大は、経済問題として不可能な回答だと思われる。作者はカタストロフィックなディストピアを描きたかったのかもしれないが、私の考えでは、それはもう少し異なった形で訪れると思う。
その一方、本作は寓意的にバブル時代の首都近郊を描いたものではないか、という印象を受けた。それは舞台とされている茨城県北部や多摩ニュータウンが土地価格が狂乱していく中で、「郊外」という新たな人工の廃墟を生み出していったプロセスを象徴するエリアであるとともに、その時生じた価値の紊乱を本作が反復していると思われるからである。
なお、本作は形式的には三人称小説となっているが、その文体は時折内的独白を孕んだ一人称小説にくずおれていく。それは、所謂地の文(語りの文章)で顕著である。その意味では本作の文体は決してハードボイルドの文体ではない。
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