並行する時間の異なる世界線。その世界線を幾度も時間跳躍(タイム・リープ)して、あり得べき世界、あり得べき結末を必死になって求める観測者主体。
もちろん、STEINS;GATEの世界は現実にはあり得ない絵空事である。だが経験の構造として、コンピュータ・ゲームをプレイするプレイヤーはそれと類似の感覚を味わう。ゲームの目的は明確だ。アプリオリに与えられたルールに則り、様々な障害を乗り越えて物語の終末(エンディング)へと突き進むこと。しかし、その目的をクリアすることは決して簡単ではなく、失敗を繰り返しながら、何度もセーブポイントまで跳ね返され、同じプロセスを繰り返す。
本作のTVシリーズ第16話で阿万音鈴羽こと橋田鈴が残した手紙が象徴的にその行為の様態を炙りだしている。
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した、あたしは失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した...........
失敗した、という思いはたとえそれがゲームでのことであろうと苦いものだ。まして、現実における失敗は誰もがそれを免れようと必死に足掻きつつ、多くの人々がそれに絡め取られ、その当為の中で呻いている。いうまでもなく失敗はありふれているのだ。
近年、このように繰り返す時間の反復を描いた作品も、それ故にありふれてきている。アニメーションでは、涼宮ハルヒシリーズの「エンドレスエイト」、「魔法少女まどか☆マギカ」、方向性は異なるが、劇場版「エヴァンゲリヲン」の壮大なやり直しもその中に加えてもいいかもしれない。映画では、本作のモデル作品とでもいうべき「バタフライ・エフェクト」のシリーズ。小説では桜坂洋の「All You Need Is Kill」やマイクル・クライトンの「タイムライン」、ロバート・J・ソウヤーのTVシリーズ化された「FLASHFORWARD」等々。SF小説では、探せばまだいくらでも出てくるだろう。
これらの時間構造を内蔵した作品群の簇生を「ゲーム的リアリズムの誕生」として論じたのは東浩紀だが、これらの作品は、リアルな現実のシュミレーションとしてではなく、リアリズムの手法ではうまく表現できない感覚や感情の「圧縮」を可能にする表現手法として機能しているのではないか、というのが現時点における私の観測であり、それは、TVシリーズを含めた本作において明確な達成を示しているのではないか、と感じている。
「劇場版STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ」は、TVシリーズのアフターストーリであり、構造的にはTVシリーズと合わせ鏡のように設えられ、岡部倫太郎の時間彷徨を、牧瀬紅莉栖が追体験することで、二人の想念を同期させるべく仕組まれたラヴストーリーである。
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